三島由紀夫の「真夏の死」を読んだ。
エピグラフにはボードレールの「人工楽園」。
夏の豪華な真盛の間には、われらはより深く死に動かされる。
光と闇の対比なのかな?
夏が明るいから、死の暗さが目立つ・・・みたいな。
「真夏の死」は、伊豆今井浜で実際に起こった水死事故がベースとなった話だそうです。
ストーリーを一言で書くと、
主人公の朝子が、事故で子供2人とベビーシッターをしていた夫の妹をいっぺんに亡くす・・という話。
通常のストーリー構成だと「悲劇」が最後に置かれるのですが、この小説は逆構成なので「悲劇」から話が始まります。
ゆえに、主人公が、その悲劇をどう受け止めて、どう立ち直り、どう生きていくのか、という心理が詳しく描かれることになります。
朝子は悲観に暮れるのですが、時が経てば傷は癒えるもの。
一家は気も狂わなければ、自殺者も出さなかった。病気にさえ罹らずにすんだ。あれだけの悲惨事がほとんど影響を及ぼさず、何も起らずにすんだことはほぼ確実であった。すると、朝子は退屈した。何事かを待つようになったのである。
心の傷は徐々に癒され、日常が戻ってきます。
家族を失うというショッキングな非日常を経験してしまうと、日常に退屈してしまう。そして、再び悲劇が訪れるのを願うようになる。
朝子は「子供たちの死んだ海岸をもう一度見たい」と、夫に申し入れ、夫婦は海岸を訪れます。
海岸に佇み海を見つめる妻の表情を見ながら夫は思います。
「お前は今、一体何を待っているのだい」
勝はそう気軽に訊こうと思った。しかしその言葉が口から出ない。その瞬間、訊かないでも、妻が何を待っているか、彼にはわかるような気がしたのだ。
勝は悚然として、繋いでいた克雄の手を強く握った。
入り組んだ人間の複雑な心理描写が素晴らしいです。
私の評価:
三島由紀夫の表現は美しい。
夏はたけなわである。沿道の家の裏手に、向日葵が獅子のように、鬣を古い立たせている。
綺麗ですね〜。
こんな感じかな。