鸞風舎(らんふうしゃ)という道場名を付けたのはミィ先生の父、先代師範のりピーです。
のりピーは、14年前に57歳で亡くなりましたが、まあ、偉大な師範だったのではないでしょうか。

ミィ先生も、M樹先生も、シィコーチも、みーんな、のりピーの教え子です。

さて、この度、鸞風舎というネーミングがどこからきたか?が分かりました!

最近、アントニオ猪木さんが亡くなられましたね。
下の詩を読んでみてください。

「道
此の道を行けば  どうなるのかと  危ぶむなかれ  危ぶめば  道はなし  ふみ出せば  その一足が  道となる  その一足が  道である  わからなくても  歩いて行け  行けば  わかるよ」

ね?どこかで聞いた事あるでしょー?

この詩を書いた人は、清澤哲夫(きよざわ てつお)という人です。

猪木さんは、引退式のときに、この詩を読まれたんですね。

⤵清澤哲夫さんの『無常断章』という書物です。
こちらに、「道」は載っています。


さて、どうやって鸞風舎の名前と結びつくかと言いますと、清澤哲夫さんは、生家のお寺を飛び出して(檀家総代とかと色々いざこざがあったそうです)、小さな掘っ建て小屋が建つ畑に、新妻と移り住みました。

清澤哲夫さんは、清澤満之(きよざわ まんし)という、有名な僧侶で哲学者のお孫さんです。
その新妻というのは、暁烏敏(あけがらす はや)という有名な僧侶で宗教家の孫娘さん。

なんかすごいですね。

その2人が過ごした小さな掘っ建て小屋で子どもたち2人が生まれ育つのですが、その小屋が立っていた場所を「涼風舎」と名付けられたのです…

りょうふうしゃ…
どっかで聞いたことあるなあ…笑

のりピーは、若かりし頃、清澤満之先生の思想を学んでいました。のりピーもお坊さんでしたからね。

そして、涼風舎のことが心に残っていたんでしょうね。
自分が独立して道場主になる時に、参考にしたのでしょう。

涼風舎で、清澤哲夫さん夫婦は泣いたり笑ったり、喧嘩したり仲直りして、時を過ごしました。子どもたちは、1番心が柔らかい幼少期をここで過ごしました。畑を吹き抜ける涼しい風、狭い家に並んで眠る若い家族…
後には涼風舎を出て、暁烏家のお寺に移り住みます。
涼風舎の日々は、人生のほんの数年のことだったようです。

人間の心の底に在り続ける風景は、幼き頃に見聞きした風景だと思います。そして、肌で感じた家族の息遣いが、その人の礎になると思います。
清澤哲夫さんは、我が子達がいつまでも涼風舎での暮らしを自分の心に残してくれるだろうと考えていました。

素敵な話ですね…
貧しくとも愛がある。
熱き思いがある。
そんな生き様の象徴が、涼風舎の日々なのでした。

うん。
鸞風舎、ええ名前やなあ❤
親鸞聖人の1文字を頂いて、涼風舎の文字も頂いて…

のりピー、やるやーん!
でも、なんでヒントになった涼風舎のことを話してくれなかったのかなあ笑