なぜ戦後の日本国憲法があるか、

参議院選挙の時に政治を変えたいと思った沢山の人達がそこを見つめていたか、後に大きく問われる事になります。

それが分かれ道だった、という事に、後で気づくからです。

 

人は誰しも、自分にとっての一番の正解を掴みたい、でもそれがどれかは選んでみなければ、本当には分からない、

今回の選挙でもそう思った人もいるかもしれません。

 

中学校の社会科の授業で、選挙で投票する時、候補者によっては裕福な者に有利な経済状況になる、

その富裕層が自分だったとしても、選挙で誰に投票するかは、その自分に得になるかどうかではなく、

社会全体を見た時に多くの人の生活にとって何が一番良いかを見て選ばなければいけない、そう教わりました。

 

言って見れば、選挙権を持ち政治家に自分の1票を投じるという事には、

政治を見るひとりひとりが歴史と社会を学び善政を行う政治家である必要があったのです。

 

10年前、おそらく財界の人達はこぞって安倍首相を口々に推していたのだ、と思います。

それまでにも沢山の不正や汚職のあった自民党が強いと言われたのは、なぜだったのでしょう。

政治の中で持つその力が何に使われたか、その強さは国民の生活や人権や権利を豊かに守る事に向いていたか、

利権の前に自然環境や生活環境が壊されて傷つく人達がいる事が時折新聞やニュースになっていても

その事には、何度選挙があっても、なぜか無感覚になる国民が沢山いました。

 

政治が汚い世界なのは仕方のない事、政府に異論を唱えて反対するのは理想に傾いてる危ない煙たい人達、

という自分たちが学校で学んでいる教養にあまりにも釣り合わない言葉が、

長い間普通に少なからぬ国民の間で通説として言われていて、その脇で

平和の中で、軍事力の色が強い法律が次々と階段を上がりながら改憲を目指して作られて行きました。

 

でもコロナの後にロシアとウクライナの戦争が始まった時、街の小さな子どもたちさえ戦争が怖い、と言い出し、

戦争反対の運動をする街頭の意見書に小さな手が戦争反対のシールを貼っていました。

彼らは大人達の作ってきた政治の世界の網目から、危険が漏れ出している事を感じていたのです。

 

 

「(戦争が)始まるまでは平和だった。潜水艦に乗って、兄も真珠湾攻撃に行った」

 

「最初は遠い国のことだと思っていたけど、だんだん近まってきて、

日本でも戦争が始まるんじゃないか、ひどくなるんじゃないかと思った」

 

「なんだろうとなっていたら爆弾が落ちていると。市内を学校から見たら火の手が上がっていた」

 

「ここは死体でいっぱい。この川が(甲突川)。そのときの情景はもう地獄の絵。あんな絵だった」

 

「今自分が生きていることがすまないような気もするし、ありがたいような気もする。

そういう戦争体験でした」

 

「私たちの次の世代、

そのまた次の世代にも戦争の記憶を伝えていくことが、

これから大人になる私たちの義務だと感じた」

 

1度前の戦前を見た鹿児島の女性たちが語り継ぎをする記憶の中にも

いつだって政治と国民の双方が1番に守る智慧の正解が、ずっとあるのです。