ハルキは元・養護学校の現・特別支援学校
高校3年生

一般企業への就労に向けての実習も終わり
とうとう就職には結び付けなかったけれど

福祉園の中の事業所
作業活動班への移行が決定し
卒業後は、活動班のカリキュラムに従って
就労への活動は続きます。

また落ち着けたら
これまで放置してしまってたココも
書き込みに来ようと思います。
1歳半検診から半年が過ぎていた。

電話のあった住んでた管轄地域の児童相談所


仕事で不在の夫に教わり


バスの路線を乗り継ぎ辿り着いた。


綺麗な建物で、でもレンガ造りの外観が

グレーっぽい全体の色が


先行きを不安視させた。



玄関を入ると待ってましたとばかりに


名前を聞かれ、担当の者です。と挨拶された。


検診でも受けたような検査を受けて下さいと促された。


なぜかと聞けば


現在の発達状態を把握させて下さいと懇願された。



なにか実験道具にでもされるかのような不安しか感じなかった。


優しく丁寧に説得は始まった。


検査するコトで、お子さんの現状の発達度合いが

前に受けた検診より更に詳しく解りますから。

そうすれば、預ける先もハッキリ特定できますよ。と


託児所の検討づけに、と促されれば従うだけだった。



別に通常の保育園でいいじゃん。と思ってたけれど

逆に検査を受ければ、そんなに異常ないコトもハッキリするだろうと

まだ楽観視していた。



母子一緒の部屋で


児童心理士と名乗る女性と

担当福祉司さんと入り

さまざまな遊具で遊ばせた。



時に大きく名前を呼ばれたり

小声で呼ばれたり


絵カードを見せられたり


ブロックを渡されたり


変わった形のボールを投げかけられたり


パズルを持たされたり


初めて見せられる遊具に


片っ端から手をつけては投げたり

口にくわえたりするハルキ


けれど

どんな問いかけや呼びかけにも

無言だった。


私が渡す玩具によっては

「ひゃははは~~~」と嬉しそうに可愛く笑った。



バインダー片手に


ハルキの反応をつぶさに書き留めていく姿は


プロなんだ。と圧倒された。


「この子ヘンよ。」と、

初めて会った保育士に突然言われ

やはり

何の事を言っているんだ、この女失礼だな。とムッとした私。

その場に居た人々が一斉にコチラを注目した。

それでも「ねえ?ヘンじゃない?ホラ。」

大声で近くにいた同僚に同意を求めていた。


私は凍り付いた。


まわりはザワついていた。


気配り上手そうな別の女性保育士が

「身体測定が終った方から

あちらの部屋へ移って面談に入って下さい。」と

にこやかに動きの止まった母子達に移動を促す。


「なんなんですか?あの人

イキナリ失礼じゃないですか?」と

別の気の弱そうな若い女性保育士にこぼす。


「すみません。ちょっと私にも理解できないので....

どうかお気を悪くされませんように。

入園をお断りしてるワケではありませんから」と返すので


その後の面談も受けて帰宅した。



通わせる予定だった保育園では

紙オムツは困ると言われたり

アトピー性皮膚炎も困るとも言われたり


冒頭の発言を大勢の人々の面前で言われた屈辱もあり


もし拒否されたらそれでもイイや。と

かなり投げやりな気持ちになった。


けれど


当時自宅で絵の仕事をしていた私は


長時間預けられる近所の保育園に入れなかったら

仕事を続けられないという危機感はあった。


大丈夫。


入園希望者数のが

定員数より少なそうだったもの。と

無理に『入れる。』と思い込もうとしていた。


けれど


後日届いた結果の手紙には「今回は見送り」

と定員オーバーしたと書かれていた。


そして

今度は児童相談所から電話が来た。



「とにかく、一度お越し頂けませんか?」と


なぜ行かなくてはならないのかも


直接会ってからと話してくれなかった。



預け先が決まらなければ仕事が続けられないほどに

ハルキの『多動』は多くなっていた。



預け先を一緒に探してくれると電話をしてきたヒトは言った。

すがる気持ちで

勇気を出して初めての児童相談所の面談へ

ハルキを連れ一人赴いた。


当時夫は

冷凍トラックで北は青森、南は大阪迄の中距離便をこなす

配送業をしていた。


コトの重大さを理解していなかった私達は


とにかく宗教の勧誘ほどに

こうるさい行政の呼び出しに


保育園入園が無くなった事で

やっと母子で出向いたのだった。