1つ前の内容を書いた後、あらためて思ったことがあった。

 

それは、私の母親の生き方だ。

 

 

 

「貧乏でガンになって体ボロボロで若くして死んじゃった、お母ちゃん、

 すっごく可哀想だったな、お母ちゃんは、少しでも幸せだったのかなぁ、、、」

 

と母親の母親、つまり私は会ったことが一度も無い祖母のことを何度もこんな風に言ってた。

 

 

小さい頃は、深く考えずに、

 

「お母ちゃんのお母ちゃんって、可哀想だなぁ」

 

って思ってたけど、大人になってからは、

 

「時代が時代とは言え、自己選択する気とか無かったのね」

 

と言う感覚を覚えたっけな。

 

 

 

そして、私の母親はと言うと、

 

文句は多いけど、でも自分では何も解決しようとかは一切しない人だった。

 

 

 

直前までは調子のイイこと言ったり、私の前では啖呵切ったりしていても、

でも、結局は何でも周囲に流されるままだったし、最終的にはいつもこうだった。

 

「お父さん(私の父親)に聞かないとね」

 

「私1人じゃ決められないから、お父さんに聞いてから」

 

こんな感じ。

 

 

 

「なんなの?この人は」

 

「自分の意見は無いのかね?」

 

といつも思ってたっけ。

 

 

 

彼女の両親は、貧乏子沢山で生きて来た。

 

そして、お金が無いからと、子供に稼がせて子供に家計を支えさせて。

 

そんな環境で育った私の母親は、小さい頃から、これを学んだのだと思う。

 

「誰か、年上の男の人が助けてくれる」

 

と言うこと。

 

 

 

彼女の場合は、兄達だろうな。

 

彼等が小学生の頃から、クズ拾いなどをしてそれを売って、毎日生き延びて来たのだ。

働かない酒飲みの博打打ちの父親、病弱でいつもお腹の大きい母親、それとまだ小さい兄弟姉妹の為に、彼等は身を粉にして毎日稼いでたのだ。

 

 

母親の母親は、お金が無いからと、

 

「××~、◎◎~、今日も一銭も無いんだよ、お米も無いんだよ、、、」

 

と、小学生に外で働かせていたそうだ。

 

 

それを見て育った母親は、

 

「なんか、もし困ったら、お兄ちゃん達に言えばいいんだな」

 

と思ったそうだけど、幼児期からその刷り込みは怖い、、、

 

 

 

母親がすっかり甘え体質になってしまったのは、やはり幼児の頃の環境なんだろうな。

 

 

 

「お父ちゃんは、働かないけど、酒飲みで博打打ちだったけど、

 でもね、子煩悩で優しかったから、私は大好きだったねぇ本当に」

 

と、言ってたねぇ。

 

 

へぇ、それってなんなんですか?

 

頭おかしいんじゃないの?

 

 

 

ですね (笑