お葬式やその後の行事も終わり、のちに私が暮らした■■家は、その後どうなったのか。

 

 

自分の父親が亡くなっても、お通夜の日もお葬式の日も、変わらずに麻雀屋に行ったらしい私の父親。

 

親戚に連れ戻されて、何とか喪主を務めた?ようではあるけれど、それでも何処かのジーサンの弔文が長いとかどうとか言って、その場から逃げ出したとかどうとか、そんな風に母親は言ってたけど、そこまでして麻雀したいのかね?である。

 

 

祖父のしていた公的な仕事は、そこは跡継ぎが何とかするとか言う類の仕事でもないので、そこで終了。

 

土地や農園とか、それと工場とかの管理系の仕事は例の祖父の弟が何かを企んだとかで、いつの間にやら、父親に渡された分は本当に僅かになってたそうだ。

 

で、収入も毎月の配当金?としては、今までの10%にもならない程度だったらしい。

それでも、普通の家庭に入って来るお金よりは、その何倍もあったらしいし、祖父の預金も結構あったそうで、弁護士が入ってそれを姉と父親で分けたらしい。

 

(私の父親は祖父の実子で、祖父の弟を養子にしてたのだけど、それはたぶん祖父が存命中に解消されたのだと思う。


 詳しくはわからないけれど、祖父の弟の葬儀の時に、その息子や娘達がコソコソ話していたのを私は聞いたので)

 

 

 

結婚生活の短かった祖母には、遺言で僅かな金銭しか用意されておらず、祖母は憤慨したそうだ。

 

 

そして、

 

「この家は俺が建てたのだ!」

 

「だから、おまえ達は出て行け、ここの家にいるな!」

 

と言ってみたものの、

「じゃ、明日からここでアナタはどうして生活するの?」

 

と父の姉に言われて、何処からもお金のあての無い彼女は、

 

「ここは俺の家だ、俺が建てたのだ!

 だから、俺の面倒見るのなら、代わりにお前達をここにおいてやってもいい」 

 

とホザいたそうである。

 

 

 

弁護士が、

 

「上物代金を現金で支払うから、それで解決と言うのはどうか?」

 

と言っても全く通じずで本当に皆困ったとか。

家だけ自分のモノと主張しても、登記は祖父になっているので、

個人間での口約束だけではどうにもならないと言うことが、全く通じないと。

 

「俺の家に後から来たくせに、お前達は根性が悪い!」

 

まぁなんとも強気で、めちゃくちゃな話で、とにかく威張る人だ、

と私はその話を聞いて驚いたっけ。

 

 

 

しかし、夫亡き後の祖母は、

 

「元妾が居座ってる、それもあの人は元芸者って言ってるけど

 お三味線も踊りも何にも出来ないんだよね、どう考えても元女郎でしょ?」

 

といろんな人から言われ放題で、益々ヒステリーが悪化したとか。

 

(この辺りの話は、いずれ、毒祖母と言うカテゴリー作って書くことにするつもり)

 

 

 

「おじいさん亡くなったのに、あの人は出ていかないんだね、、、」

 

と母親はガッカリしたそうだけど、出ると言っても、既に行くあての無い中年過ぎのおばさんだし、今更アパート借りて暮らすこともしないだろう。

 

 

祖父のいた頃は、気の強い祖母もそれでもまだ少しは加減していたようで、祖父亡き後からは、もう嫁イビリが酷くなって来て、母親もうんざりしてたそうだ。

 

 

「おじいさんの仕事のお金はもう入って来ない。

 △△(兄)の病気のことでも、沢山のお金がかかるけど、これは仕方ない。

 

 治療費が先だから、毎月これからは節約しなきゃいけないし。

 でも、うちには体動かせる若いのがいるし、それにもう勿体ないから、
 お手伝いさん達には、もうやめて貰うことにするからな!」

 

と祖母が一方的に決めて、何人かいたお手伝いさんには辞めて貰ったそうだ。

 

 

そして、その「若いの」と言うのは、勿論私の母親のことだ。

 

「あのバアサンはさぁ、

 まるでモノみたいに人のこと言うんで、
 こっちはさ、このクッソバッバアッ!!!って思ったよ」

 

と母親が言っていた。

 

 

 

そして、

 

「おじいさんが亡くなってからはさぁ、いろいろと大変になってねぇ、、、」

 

と、これも母親が言っていた。