私の父親と母親の間に、祖父待望の男の子が生まれて、病弱ながらも生き長らえてた頃に、祖父は肺ガンになっていたことがわかり、市内の病院に入院をしたそうだ。
この辺りのことは、あまり詳しく聞いていないので、わかる範囲で書く。
闘病が続いたようだけど、それも虚しく、私の兄が生まれてから2年~4年後?くらいに亡くなったそうだ。
(詳しい年代がわからないけど、たぶん1961年と聞いたような?)
その月日は確か、7月の上旬だと思う。
私の母親が、町内のお祭りの時期になると、
「お祖父さんはさ、この辺りに亡くなったんだよ。
もう夏だから暑くてね、まだ小さい△△をオンブしてたよ。
喪服が無くて慌てて買ったんだよね、夏用の半袖のワンピースをね」
と同じような話を、毎年言ってたよ。
たぶん、73歳~75歳くらいだったようなので、今であれば少し早かったかもしれないが、タバコもかなり吸ってたと聞いてたし、呼吸器疾患を長く患っていたようなので、「タバコ止めないと肺病になるよ」と医者にも言われてたようなので、仕方がなかったのかもしれない。
お葬式をするにも、いろいろその家のシキタリだかなんかがあって、
「あー、面倒くさいねぇ。
東京なら、簡単なのになんなのぉ?」
と、まだ当時は25歳程度だった血気盛んな私の母親は、イライラしてたそうだ。
弔問に訪れる人は、彼女は面識の無い人達ばかり。
そして、その話す言葉があまりわからないは、
何をどうしたらいいのか、それも全くわからずで。
何か不始末をしたらしいとかで、小姑である夫の姉に、
「ここはもう、アナタはいい!
離れに、△△連れて行ってて頂戴!」
と言われたとかで、ムッとしたとか。
この時、義姉は隣の市の開業医と結婚をしたばかりだったとかで、
「なんでこの人は、もう結婚して家を出たのに私に指図するの?」
と、義姉に敵対心が更に増したそうな。
だけど、他の土地から来ていて、何もわからない人間にボーッと突っ立っていられるよりは、
マシかもしれない。
嫁ぎ先の田舎でのお葬式の準備となれば、いろいろと細かい習慣が違う場所から来た嫁など役に立たないのは、私にでもわかるような気がする。
祖父のお葬式の詳しい話は、私は覚えていないか、聞いていないかのどちらかだ。
大変な大規模のお通夜とお葬式、それと弔問の方々の数が物凄い人数だったと言うことしか聞いていないので、詳細はわからない。
けど、喪主を長男である私の父親がするのか、祖父の何番目かの妻である似非祖母がするのか、祖母がギャアギャア言ったそうだけど、祖父の養子になっていた祖父の実弟もしゃしゃり出て、中々面倒くさい状態だったらしい。
しかし、結局は実の長男である私の父が喪主になったとかで、やっと落ち着いたと言う話。