夫の実家の地元と自分の地元の東京の2ヶ所で、結婚披露宴を終えた母親は、新たな人生を夫の実家で始めたそうだ。

 

口うるさい姑が、ああだこおだと文句ばかりで早速うんざりしてたようだけど、彼女の味方になるはずの夫である私の父親は、殆ど家にいない。

まぁ、舅である義父が家にいれば、彼女の味方をしてくれたようだけど、そうすると姑の義母は面白くなくて益々悪化の傾向を辿るばかりだったそうで、困っていたらしい。

 

毎日昼過ぎまで寝て、毎日同じ店で御飯を食べて。

そして、車を運転して温泉に行き、戻って来て麻雀とパチンコ屋に出勤。

夜は夜で御飯を外で食べて、バーのはしご。

 

これが毎日の夫の実態。

 

何を言っても、
「うんうん、わかったから」

と言って、外へ出る。

 

「麻雀もパチンコもやめる!って約束したでしょ?」

そんなこと言っても、通じない夫だ。

 

(これはわかる。

 父親は、いつも返事だけで終わってたもの。

 私が、どんなに大変な思いをして毎日を過ごしていても、
 ふーん、俺にどうしろって? そんな感じで終わってたからね)

 

 

それとは反対に、義父の財力は勿論だけど、人望の厚さに驚かされてしまったらしい。

 

「先生、先生!ってみんなに呼ばれていたんだけどさ、

 私は市や県の何か難しいことしてる、ってしか聞いてなかったからね、
 なんで先生なんだろう?ってず~と思ってたけど、ほんと意味がわかんなかったっけ」

 

と母親の談。

 

 

母には舅で私にとっての祖父は、基本的にはとても良い人だったそう。

 

でも、良い人過ぎて、おまけにお人好しだったようで、人に騙されたりも結構あったらしい。

それでも、難なく人生を終えたようだけど、家族感と言うのがどうにも私の父同様にまともでは無かったのでは?と私は何度も思ったな。

 

たぶん、昔のお金持ちの親にあった傾向の家庭で育ったのだろう、祖父は。

で、自分の妻になった人達や、生まれた子供たちにも、自分の知ってる範囲内でしか接することが出来なかったのかもしれない。

 

なので、父親も、自分の育った環境が全てだから、仕方がないのかもだけど、、、

 

まぁ、祖父も父親も、どっちも家庭を持ってはいけない人だったのだと思う、今でも。

 

脱線してしまったので、話を戻そう。

 

 

 

義姉はと言えば、当時30歳を超していたので当時としては、かなりの行き遅れだ。

 

地元の学校で教師をしており、実母亡き後はお手伝いさんと一緒に、弟や実父のことや、家のことをしていたそう。

父親とは姉弟に見えない程に違う顔で、今(もう20年くらい会ってないけど)とは違って昔はとても綺麗な人だったようだ。

良く言えば天真爛漫で、悪く言えば気の利かないお嬢さん育ちで、その上、思ったことをガンガン直球でブツけて来る人だったと。

 

母親は、

「ちょっとなぁ、なんかこの人ムリ、、、」

と思ってしまって閉口したそう。

 

超箱入り娘で来てしまって、いつの間にか30超え。

 

お茶やお花の先生もしていた(今も?)そうで、休日にはそっちでも忙しく、男性と知り合うチャンスがなかったのかどうなのかわからないが、BFみたいな人もいなかったらしい。

 

祖母は、彼女とはまぁまぁ繋がっていたらしく、家の家計もこの義姉が関わっていたそうで、母親への「小遣い」も、彼女が計算して出していたそうだ。

 

ちなみにソレは、義姉の給料の30%くらいだったとか。

母親は、こんなに貰っていいのかなぁ?と手がつけられなかったとか。。。

 

 

毎月の生活費と言うのはなくて、お店にお買い物に行って、
いわゆる「ツケ」と言う方法だったそうで、母親はこれがとっても嫌で嫌で、
お金を借りてる気分になってしまって、堪らずに思い切って舅に直談判はしたけど、

 

「ウチはずっと昔から、こうやって暮らして来てるからねぇ。

 どうしてそんなに嫌なのかわからんなぁ、お金は後で支払うんだからこれがいいんだよ」

 

と毎回返って来たそうで、これは以降約15年は続いたらしい。

 

貧乏でお金がない家庭で育った彼女は、お金持ちの家の懐具合や、まして支払い関係など理解出来るわけもなくて、中々これがストレスだったと言ってた。

 

 

「金持ちってさぁ、すんごい変なんだよねぇ。

 

 用があると、電話して人を呼びつけたりとか、お手伝いさんがお店に行ったり。

 それとスグにタクシーなんだよね、車なんて信じられなかったね、当時の私にはさぁ。

 

 驚いたのはね、百貨店のお偉いさんみたいなのが来てね、
 そこから何か買うみたいでさ、着物とか帯とかね、もう信じられなかったよ!」

 

と、子供の頃に何回も聞かされたっけ。