1日午後4時10分、
急に携帯に緊急速報「大きな地震が来ます!」
「注意してください!」
携帯の警報音が大きく鳴り響く中、
大きな揺れが襲ってきました・・・
私は家の中にいたので、
いつもの揺れ位だと、高を括っていたのでしたが・・・・・
さらに揺れが大きくなり、食器棚の中のカップが
倒れ割れる音がしていました。
かなりやばい地震だと思いましたが・・・
何もできずに、必死に食器棚を
抑えていることしかできませんでした・・・
冷静に考えたら、かなりやばい事をしていたと思います。
すぐテレビをつけると、
大津波情報が発令されており、
至急逃げてください!至急高いところへ避難してください!
緊迫するようなアナウンスが流れ続けていました。
志賀町で震度7!
私の実家が七尾市なので、
実家の被害状況や母の安否が
頭の中をよぎりましたが・・・
外出中の家内の事も心配でした。
案外冷静に自宅に津波の来る確立や
余震の発生などを考えている自分がいました。
海沿いの家の方々や、津波被害にあいそうな
地域の方々が車で高台の方へ向けて一斉に
動き始めたことで、各道路で大渋滞が起こっていました。
テレビ報道より、情報を確認しこれからどうするのが一番安全なのか、何をすればいいのか・・・
母の施設にすぐ電話しましたが、繋がらない事で焦ってしまいました。
道路は大渋滞!今は動かない方が安全だと思いました。
家内が帰って来て、
これからの行動について話しました。
余震が続いているので、
持ち出しに必要なものをそろえて、
キャリーバックに入れて、
いつでも避難できるように
準備だけはしました。
今はとりあえず自宅で待機するのが
安全という判断をしました。
色々なところからラインなどで
連絡が入ってきました。
名古屋の卓球関係の方からも
安否についてラインが入っていました。
有難いことです。
能登地方の知り合いに連絡しました。
ほぼ全員が避難所に避難している
という事を聞いて胸が痛みました。
母への安否確認が取れないまま
夜を迎えたのですが、
テレビでは、輪島の朝一の
火事が大きく報道されているのを見て
大変なことになっている・・・・
能登地方のこれからの事を
考えると辛くなりました。
母の安否確認がとれたのが、
3日の夕方でした。
そんな中、初打ち!
練習開始を迎えました。
クラブ員はほとんど無事でした。
地震発生時、能登穴水近くの
さと山街道を走っていて、
道路の隆起とひび割れで走れなくなり、
一晩車中泊した子もいましたしたが、
無事、付近住民の方々の協力を得て
帰って来ることが出来たようです。
練習前に、能登地方の子たちは、
練習したくてもそれどころではない状況に
なっているという話をし、君たちは
このような環境で練習できることに
感謝の気持ちを持って、しっかりと
練習してください!
と訓示をして練習打ち初めをしました。
能登地方でまだまだ避難生活を
強いられている方々が一日も早く
落ち着いて生活できるよう祈っています。
死者が200人を超えて、
さらに増えることが予測されます。
お亡くなりになられた方々の
ご冥福をお祈り申し上げます。
私の実家も家の中が大変な状況に
なっていますが・・・
今は何もできない状況です・・・
母も避難施設から、
昨日隣の県の病院に自衛隊より搬送されて
無事に到着しました。
まだまだ色々な事で憂いを持った
日々が続くことになると思います。
でも、しっかりと前を見て進んでいきます。
能登の方々も、
心折れそうになると思いますが、
負けることなく前を見て一歩一歩
進んでください。
祈りを込めて応援しています。