おはようございます
くもりです
新幹線の中で、焼身自殺です。
凄惨な事件です。
本人は亡くなり、
関係の無い方も亡くなられています。
また、傷害を負われた方もいます。
自殺する ということと、
その結果、他人に影響を及ぼすということは、
分けて考えるべき事柄。
つまり、他の人々に迷惑を及ぼすなら、
それは当然、すべき手段や方法ではありません。
非難されてしかるべき。
では、自殺自体については、どうだろう
「 自殺は誰にも迷惑がかからない。
だから、自由なんだ。 」
こんなことを言う評論家もいます。
「 人のいないところでやれ。 」 と。
およそ法律は、規範について規制しています。
つまり、その根本に流れているものは、
やってはいけないこと、すべきではないといったものがある。
たとえば刑法。
故意に人を殺せば殺人罪だし、怪我をさせれば傷害罪。
これらは、 個人の法益 を守るためのもの。
国を混乱に陥れるような、オーム事件のようなことをすれば、
国家騒乱罪などの適用が有り、コレは、 国家の法益 を守る。
そして、車が左側を走ったり、
人と人とがぶつからないように生活していくといった、
社会秩序を守る 往来危険罪などもある。
これらは、社会規範のなかでも刑罰を与えるべきほど
重いものであり、制限されるべきものです。
では、先の 「 自殺は人に迷惑を与えない。 」
というのは、本当でしょうか。
自殺する人に頼まれて、手伝うと罪になる。
また、殺しても良いと承諾を受けて殺しても、
やはり罪になる。
自殺関与及び同意殺人罪(202条)ですね。
一方自殺者は、罪に問われない。
とすると、自殺は、
刑法犯ではなく、問題が無いようにも思える。
しかし、自殺という行為は、
社会が一定の秩序を保って、安全な環境にあることに対して、
問題がある行為。
生きるという権利があるなら、死ぬという権利もある。
だから、自ら死ぬという権利を行使するんだ、
と反論もある。
一見正当な主張のように見える。
しかし、
末期のがん患者で、痛みに耐えかねた結果
このような主張がされるのなら別論、
経済的なこと、社会的地位などが原因で、
主張するのは、間違っているのではないか。
むしろそれは、命を賭けてすることでは無くて、
他の選択できる解決方法を試す方が、
より建設的だと思う。
もちろん、非常に切羽詰まった状態で、
自らを責めることになり、他に考えが及ばなくなることも
あり得るだろう。
でもそのことで、他人が自殺を正当化するのは、
おかしくないか
もしそうなら余計に、
誰かがチカラになれる状況を作ることに、
社会が働くことのほうが重要ではないか。
つまりは、個人と社会との接点、いや、
点では無くて、ふれあいが出来るようにすること。
このことこそ、重要な事項だと思う。
自殺は、とても重い重いことがら。
僕の知り合いも、むかし、自殺しました。
そのとき、いや今でも思うのは、
どうして相談してくれなかったのか?
どうして聞いてやれなかったのか?
ということに尽きます。
自殺、考えないで