2021/5月以降:  

5月より緊急事態となって以降…


あるいは物憂い気分からの逃避なのか、絶えずゆらゆらと微睡み続ける様な平時と異なる時間の流れの中で…



ある日はこんな夢を見た。



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遠くでアカショウビンの啼く声が聞こえる…


かつて一度だけ南小国の源流域で啼き声を聞いて以来の事である。


キョロロロロ…と、その可愛らしくも特徴的な啼き声に一抹の寂しさを感じたのは、この鳥にまつわる様々な逸話を聞き知っていたからか、或いはその時たまたまの私的感傷だったのか…


……



..


ハッと気がつけば私はダム湖の水辺に佇んでいた。



一瞬自分がどこにいるか判然とせず、しかし確かに見覚えのあるダム湖は何時ぞやと同じく明鏡止水で…妙な懐かしさを覚えつつ、成る程ここは矢部川水系の日向神ダム、日向神川方面のバックウォーターである事に思い至れば…

そうそう自分は雨後の一発、ダム湖遡上のエノハを狙ってここに来ていたのだと、不思議とごく自然に得心していた。


矢部川の支流である日向神川は、矢部川本流と合わせて日向神峡と呼ばれる非常に急峻な渓谷の一部を成す川であり、清流に沿って展開するその勇壮かつ峻厳な景観は、『かつては』九州においても大変稀有な渓谷美を誇ったと言われる。

天孫降臨の頃、この地を通り掛かった日向の国の神々も奇岩、奇峰に満ちた日向神峡のその類なき美景に目を見張り足を止めたと言われ、同地名の由来となった伝承が今に伝わる。

そして同地は確かに今なお景勝の地ではあるものの…



ただその渓谷美の核心部がダム湖に沈んで久しい今となっては、日向神川も特にダム湖バックウォーター付近では著しくコンクリート護岸化が進んでおり、かつての美渓の面影を見る事は叶わない。

まして、護岸の進んだ川を釣り上がって行けども期待された遡上物どころかチビエノハの気配すら微塵もなく、釣れるといえばカワムツばかり…

となれば釣り人としては不満が昂じるせいか、今に至る川の景観の変容が余計残念に思われて仕方なく…

それもこれも時代の流れというものだろうか…

と、身勝手な釣り人の口から思わず深い溜息が漏れ出たのも、或いは致し方ないというもの。



しかし遠くでアカショウビンの啼く声を聞いてハッとしたのは深く溜息をついたちょうどその時である。

一転、にわかに心が浮き立つの感じた。


ようやく初めてアカショウビンに出逢えるかもしれない。写真や動画で繰り返し見た、火の鳥の鮮烈な赤い姿が脳裏に浮かんで期待に胸が躍った。

日本で見られるカワセミ科を含むブッポウソウ目の代表4種であるカワセミ、ヤマセミ、アカショウビン、ブッポウソウ。これら4種全てに出逢う事は私の渓流釣り探索におけるサブテーマの一つ。

カワセミ、ヤマセミには度々遭遇しているが、ブッポウソウとアカショウビンは夏の渡り鳥であるが故に出逢える機会はそもそも少ない。

故にこの貴重なチャンスを逃すべからずと、啼き声の聞こえて来る上流方面へと私は足を早めた。


アカショウビンの啼き声を追って、釣り人は日向神峡の上流へと。寂しい護岸域を抜けて遡行して行けば、日向神川にも今なお『らしい』渓相は少なからず残っていると見えて一安心。



依然として釣れるのはカワムツばかりだが、せめて最初の魚止めまではと竿は引き続き振りながら、上目遣いに火の鳥の姿を探しつつ更に上流へ、上流へ…

キョロロロロ…と、火の鳥の啼き声は次第に大きくなり、着実に距離は縮まりつつある。

かつてニニギノミコトやコノハナサクヒメらが目を見張ったとされる日向神峡。火に関係深い神話の神々。その名を冠した同地に飛来する火の鳥アカショウビン。同亜種を神の使いと見る地方もある。ならばそれはこの場所にとってやはり一つ光明であるには違いない。

無意識にそんな連想が働いて、これはもうアカショウビンに出逢う絶好のシチュエーションに違いないと確信したその時…


唐突に別の鳥の啼き声が渓に響き渡った。

美声であるには違いないが、殊更に大きく耳に響くその啼き声には聞き覚えがある。見れば前方の岩上より、目の周りを白く縁取られたその声の主がこちらをじっと見つめていた。

ガビチョウである。


ガビチョウは元来日本には生息していない留鳥で、古くは江戸時代より愛玩用に輸入されてきたが、無配慮な放棄が進んだ為か近年関東以南で生息域を拡大しているらしい。実際に私の住む里山周辺でも、ここ数年で鳴き声を良く聞く様になった。




思わぬ所で遭遇したガビチョウに、何故だか見てはいけないモノを見た様な心持ちがして、妙に居心地の悪さを感じていた…

この手の外来動植物の生息域を巡る混乱は、結局のところ全て人間の身勝手が結果しての事。長距離を飛べないガビチョウにしてみれば、無理矢理遠い異国へと連行された挙句の果てに山野へ打ち棄てられて今に至る訳である。

どうやらそんな人間の身勝手さに、同じく身勝手な釣り人は自身少なからず疚しさを感じているらしかった。

せめてガビチョウがアカショウビンの様な渡り鳥であったならば、自由に故郷の地まで飛んで行けたであろうに…


そんな湿っぽい想いに捉われていると、ふと背後でバシャリと音がした。振り返ると、どうやら鳥が魚を狙って川へ飛び込んだらしき気配がある。


渓魚を狙う渓流域の野鳥といえばやはりカワセミ科の鳥である。それこそアカショウビンではなかろうかと、水面をまじまじと見つめていたが、不思議な事に潜ったはずの鳥は一向に姿を現さない。

怪訝な気持ちで周囲を見渡すと、川縁の木の枝にまた別のガビチョウが留まっていた。ガビチョウが魚を?と一瞬考えたものの、そもそもガビチョウには水に飛び込んで魚を採って食べる様な食性はないし、ましてあの小さな嘴では無理がある。


キョロロロロ…と、聞こえてくるアカショウビンの啼き声はもう随分と近い。

気を取り直して再び歩みを進めつつ、しぶとく竿を振っているとこの日初めてエノハの手応えアリで、ようやくのボウズ脱出である。



釣れたエノハを見てみれば、脂ビレ辺りに鳥にやられたと思しき傷がある。ただ程度としてはごく軽症で、エノハが敏捷に鳥から逃げ切ったのか、はたまた狙った鳥が鈍臭かったのか…

いずれにしても、やはりアカショウビンがもうすぐ側にいる様な気がしてどうにも落ち着かない。

しかし先へ進むと再び前方にガビチョウが現れて、頭の芯に響く様な大きな声で囀った。

かと思えば、再び背後でバシャリと音がして鳥が川に潜る気配があるが、振り返ってみれどもアカショウビンはもちろん鳥の姿すら見当たらない。

僅かな距離を進む内に同じ事が数度続いて、次第にいわく言い難い怪訝な気持ちが私の中に充満しつつあった…


程なくして、かつての美渓の面影を今に残すと見える大層美しい場所に行き当たった。普通であれば胸の空く様な局面である…が、この時だけはまるで状況が異なった。

異様な気配が周囲に満ちている。私は猛烈に厭な予感に襲われて、理由も判然とせぬまま肌が粟立つのを感じた。



前方でバシャリ、バシャリ、バシャリと立て続けに水の爆ぜる音がする。ヒョロヒョロロ、ギョロギョロロと奇妙な啼き声が聞こえる。

目を凝らして周囲を良く見渡すと、岩上に岩陰に川岸の斜面に木々の枝に、数え切れぬ程夥しい数のガビチョウがいた。

その内の数匹がヒョロギョロロとガビチョウらしからぬ声で弱々しく啼いている。かと思えばやおら数羽がすっと川へ飛び込んでバシャリバシャリと音を立てる。

私が呆気に取られている内にも、ガビチョウ達はやはりキョロヒョロロと弱々しく啼いてはバシャリバシャリバシャリと次々と雪崩打つ様に川へ飛び込んで行く。


川に飛び込んだガビチョウを目で追っていると、水中で魚を追っているのが微かに見えた。しかしガビチョウ達はまるで泳ぎ慣れぬと見え、魚を捕らえきれぬまま溺れてしまい、そのまま川底へと沈んで行くらしかった。

その内に溺れたガビチョウの亡骸が私の足元まで流れてくる。一羽、また一羽と止めどなく流れて来るので、徐々にそれは亡骸の山と化しつつある。

暫し呆然としていた私は、我に還ると同時に心の底からゾッとして、慌てて無数をガビチョウ達を振り払う様にして上流方向へ駆け抜けて、足を絡れさせながらも暫くは足を止める事はなかった。

ガビチョウの群れを抜けて間もなく、後方からガビチョウ達が本来の大きな声で一斉に啼くのが聞こえた。


上流へ駆けて行く最中、ふとある想像が浮かんでいた。ガビチョウは他の野鳥の啼き声を真似る名人である。

他の鳥の声を真似る理由については諸説あるのだが、或いは羨ましく憧れる鳥の声を真似ようとするのかもしれぬ。

あの無数をガビチョウ達は、もしや日向神峡に飛来する火の鳥に憧れを抱いたのではなかろうか?それも自身の生物学的な限界を忘れてしまう程に…


気がつけばもうガビチョウ達の声は遥か遠く微かである。空を見上げると高く聳え立つ日向神峡の岩峰が望まれた。

最早探す気力は残っていなかったが…

やはり遠くでアカショウビンの啼く声が聞こえる…

私はその啼き声を聞きながら、やはり一抹の寂しさを感じていた。