日田、筑後川水系三隈川支流の花月川。天領時代からの情緒を今に伝える旧き町並み残る豆田町、その町沿い北側を流れる川、と言えば幾分判り良いだろうか?


同地に花月の名は古くからあり、その明確な由来は調べ切れなかったが、かねてより花月川流域に見られたであろう雅のある明媚さが、由来の一因となったと想像できなくもない。



さて、本記事を読まんとされる物好きな方がおられれば、まずは何よりもこの記事をご一読される事を筆者としては希望する。



私が日田の花月川を巡るこの記事を目にしたのは、2017年の春頃であったと記憶している。


記事に感化され、同年中に花月川の渓流釣り探索を試みようと、機を見ていたその折に...平成29年7月九州北部豪雨が発生した。


平成24年の豪雨による被害からようやく回復を遂げつつあったにも関わらず、同流域での被害は再び甚大で...


以来釣りに行く余地などあるはずもない、と心定まらず...



かくして当時の探索は見送りとなり、気がつけば今やほぼ4年に近い月日が流れつつある。


昨年の豪雨でも、同流域では再び氾濫等による被害は出ている。


ただ花月川源流の地を故郷とする、先人の記事に記されたエノハがその後どうなったのか...


今まで全く気に掛けてこなかったってワケじゃない。




2021/3/14:


3/12には福岡では早くも桜開花の報せを聞いた。予想以上に冷え込んだ冬季に反して、3月に入ってから季節の進行は驚くほど早い模様。



日曜早朝より日田へ向かい、程なくして花月川の上流へ到着する。


判ってはいた事だが、平成29年の豪雨以前に下見に来た時と比して、同所より見渡す川の様相は愕然とする程の変貌を遂げている。

当時この巨大な砂防堰堤は存在しなかった。古めの小さな堰堤はあった記憶だが...いずれにしても川は平成24年の豪雨被害から『復活しつつあった』当時の原形を、もはや微塵も留めてはいない。


渓流釣り目線で見ずとも、悲しくなるくらい流れる水は濁り澱んで、その事情は理解しつつも、以前とは比べ物にならない程に悪化している。

この状況に心穏やかならざるものの、ただ特定の何かや誰かを責めれば良いという訳ではなく...とにかく事実として、改善すべき問題は今なお進行中と現状認識だけは新たにした。



と、事実に即して冷静に筆を進めつつも、やはり『そうは言っても』だ...


実は昨年の豪雨前にも、川の状況を確認しに既に同所を訪れてはいたのだが、その余りの変貌振りにひどく落胆して竿すら出さず早々に立ち去った。


元より日田の知人に『花月川は絶望的』と、そんな言葉も聞いていたせいか...


その時は、渓流釣り師にとって花月川はもはや死んだ川となったのだと、深く慨嘆した事は一応私的な記録として正直に記しておこう。


しかし禁漁中に何となく先人の記事を読み返している内に自然と考えは改まり...やはり一度だけでも源流域まで、とにかく目下の現実を目にしておこうと再起した次第...




前置きが随分長くなったが、そんなこんなでこの日は花月川上流へやって来た訳であるが、来てしまった以上やるべき事はいつもと同じ。

水温11.3℃。砂防越えて、更にもう一つ越えても荒れ果てた川の光景が広がるばかり。

ただ想定通り水の色は良くなりつつあり、ヒラタにキンパクと川虫も十分採取でき、ようやく僅かに光明を感じる。


斜面の崩落は当然随所に見られる。いつの豪雨で発生したのか、流域の過去を知る者にすら今や判然としないかも。
ここで突然鋭い鳴き声。親子と思しき鹿2頭のお出迎え。鹿を見るコト、これ渓流釣りにおいて良きルーティンと勝手に考える。

目撃する鹿の数に釣果は比例す、とか何とか。コレ渓流釣りの先輩の言であるが、多分根拠無し。釣り人は単にこの類の験担ぎが好きなだけ。


鹿の見るコトの吉兆はともかく、川の様相はかなり『らしく』なってきている。水量は物足りないものの、水は確実に本来の清明さを見せつつある。
とはいえ未だアタリ無し...ただし本命の。渓流における最強の魚、アブラメの生存は既に確認済み。しかし今日はこれも吉兆と考える。

そもそも魚類の生きる環境がちゃんと残っているのか、それすら不安視していたのだから。アブラメはやはり強し。

更に進む事しばしで、今度こそは水も渓相も元来の美しさとなったと確信された。この様な環境、もはや微塵も残っていないかも...
そんな不安はここに至って完全に払拭された。きっとこの様な景観、花月川がかねてより具える明媚さの一端ではなかろうか?


本命のアタリを取ったのは、何となく良い予感を感じ始めた時であった。先人の記事を目にして、行ってみようと思ってから約4年を月日を経て...ようやく出会えた花月川の初エノハだ。
サイズなど関係なく、この1匹の嬉しさたるや、なかなか言葉では表現し難いものがある。

何よりも強調すべきは、これ即ち近年連発した豪雨被害を経て、今なお花月川にエノハ育む自然の力が残っている証。

鹿を見るコトの吉兆、今回は当たったかもしれん。いみじくもこの日釣れたエノハは、鹿2頭に比例して4匹となり...
釣れたサイズが大小マチマチなところを見ると、やはり再生産しているのは間違いなし。その他にもエノハと思しき魚影数匹、目視確認する事もできた。

もはや探索の成果は十二分であった。


確かに花月川の流域、上流下部から下流にかけて川筋を追って行けば、近年連発した豪雨被害と復旧工事等によりその変容振りは激しく...

かつての流域環境を想像すると、今や安易に明媚とは言い難く、厳しいものを感じるだろう。
それでも上流、源流部においては、確かに荒れた箇所は目下多数見られるものの、流れる水は清明にして、明媚と言うに足る渓相を今なお少なからず留めている。

『災害の破壊力は凄まじいが、自然の復元力もまた逞しい』という先人の言葉を信じれば...
今後自然の復元力と人為との調和が得られる限りにおいて、時間は掛かるに違いないが...やがて全流域において花月の名に足る明媚さを、徐々に取り戻して行くに違いない。

その限りにおいて、花月のエノハも永く命を繋いでいくだろう。

この日の花月川探索でその逞しい自然の復元力の芽を、この目で確かに見る事ができたのだから。

....

...

..

.



*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚


季節は山桜の盛期を過ぎた頃...

あるいは初夏に向かって新緑眩く輝く頃であろうか?

花月川沿いの林道を、源流方面へと歩みを進める釣り人と思しき人影がある。

深く皺の刻まれた顔、手を見るにどうやらかなり年老いた釣り師の様である。

林道の分かれ道、上流に向かって川が二股に分岐する近辺に山の神の祠が鎮座する。
祠の佇まいは随分変わったものの、今なお手入れする人はいる様だ。

川の分岐点は『冷や水』と呼ばれ、ここは1年を通して冷たい水が湧く。
分岐点の周辺から老釣り師は竿を出し始めたものの、なかなかアタリはない様子。

分岐する川、どちらの方に進むべきかを老釣り師は当然心得ている。何せ源流部の集落が老釣り師の故郷なのだ。

近年立て続けに起こった集中豪雨により川は一時かなり荒れた様であったが、今や随分と回復した感がある。
自然災害の破壊力は人の想像を超えて凄まじいが、自然の復元力もまた人の想像以上に逞しい、と老釣り師は改めて思う。

年老いたとはいえ、その長い経験故に川を遡行する老釣り師の歩みは存外に軽やかなもの。

やはりエノハはなかなか釣れないものの、老釣り師に焦る様子など微塵もない。

ただ竿を振る度、生まれ育ったこの流域での思い出が都度去来するせいか、遅々として先に進めない様でもある。
あくまでゆっくりと釣り上がる老釣り師の姿は、いつしか風景に溶け、渓を描いた山水画の点景のごとく...

思い出と現在は自在に入り混じり、渓沿いに咲く花の色、新緑の蒼さ、透き通る水の流れと渾然一体となりつつ...

やがて老釣り師は花月の川にて、生涯最後の美しきエノハを、確かな手応えとともに釣り上げる。