宗像大社の秋の空



学校の学びも大事


子どもたちの学校では、探求学習に力を入れていて、日常的な漢字や計算のドリルのほかに、調べ学習をしたり、学校貸与のタブレットを使ってそれをスライドにまとめたりということをある程度自由にやらせてくれています。

 

これとてもいい取り組みだなぁと思うんだけど、一方で、中学受験とは相性が悪いなとも思う。

中学受験は、してもしなくてもいいのだから、こっち側(受験する側)に合わせてくれと思っているわけじゃないんですが、親としてのスタンスは、ちょっと試されている感じです。

 

息子は、調べ学習は大好物ですから、どんどんやりたくなるんですよね。

 

いまは気象に関心がある息子。

塾で学んだのかな。

楽しいみたい。

先生がお上手なのでしょう。

あれこれ、うんちくというか、学んだばかりのことを話したがる。

それで、学校の調べ学習としてまとめると言って、スライド作業みたいなことを、なんだかずっとやってたりする。

 

で、私はつい、ちょっと、ため息が出てしまうわけです。

またやってる、と。

 

2月1日までのカウントダウンを始めて、ブログやXなどでいろんなご家庭の受験戦記というべき悲喜こもごもの実況を見ていて、中学受験なんていう贅沢で貴重な体験をするのだから、私は息子もすこし、しっかりと向き合わねば、というような気がする。

 

で、息子が私がため息をつく様子を見ていて、

 

キョロキョロおかあさんは、こういうの、やらないほうがいいって思ってる?

 塾の子の家では、学校の宿題やらなくてもいいって親が言ってるって。

 

と聞いてくるのです。

んー。それはさ…。

考える私。

 

知らんぷりまず学校の宿題は当然やるよ。

ニコニコそれに興味関心を持っていろんなことを考える息子君が、おかあさんは一番すきだよ。

不安でも過去問も、有名中もほとんど手を付けてないよね。受験生なのにそれで大丈夫なのかな、とは思ってる。

真顔自分で考えてやってると思うんだけど、楽しいほうに流されているようにも見える。

指差しただ受験がすべてじゃないからね。お母さんは、塾で学んだことは、すべて息子君の頭の中にちゃんと納まっていると思うから、それはそれでいいかな、とも思うよ。

 

自然にわいてくる興味関心に蓋をしてまで、受験用の勉強をするってことが、私の望む息子の姿でもないっていう現実。

 

息子は成績がいいので、もっと頑張れば、もっと上を目指せる、ということをたまに言われるのですが、上って何なのという問題が常に自分の中をぐるぐるしているんですよね。

 

でも焦りはするの。

うちは中学受験を甘く見てる気がする。

 

それに、どうしても、「こういうことを思うわたしが優秀層じゃないから、発想が優秀層のそれと違うんだろう。それはうちの子たちにとってマイナスだろうな」ということも思う。

 

ほんとはゴリゴリに、あと3か月くらい本気になろうよって勉強させたほうがいいのかもしれないよね。

 

正解なんてないだろうけど、自分は常に不正解のような気がしてしまいます。

親をやるって難しい!


気象のはなし