暑いですね
体調不良~![]()
寝たり起きたりの1日でした…
気圧もあるかなぁ、ぐったり。
去年の夏休み15日目は、娘が計算を頑張っていました。
今年も頑張ってますよ![]()
わからないとつらいけど、わかると算数は楽だよね、と子どもたちを見ていると思います。
わたしも子ども時代に、算数を、もっと頑張ればよかったな![]()
2025年夏休み15日目
息子、家庭学習
朝はピアノ練習をしてから塾へ。
9時から12時までの授業を終えて、帰ったらちょっと読書。それからミニバス2時間、終わったら空手1時間半。
ちょっとハードすぎるよね
そろそろミニバス卒業かな?とも思うのですが、こんなハードな日はたまになので、まだ大丈夫らしいです。まあいろいろやっているほうが、気がまぎれるのかもしれません。
- 算数 計算問題、冊子の問題
- 理科 大問1、小テスト形式問題3、暗記範囲の学習
- 社会 暗記範囲の学習
おお、気が付けば国語をまた全然やってない
自走するとバランスを欠くんですよね
調整しなくては
娘、家庭学習
娘は午前中は、少しだけ家庭学習をして、それから図書館に行き、夫と買い物に行って帰ってきました。
海外にいるお友達が一時帰国しているので、プレゼントとお手紙を用意しています。
こういうの大好きだから、嬉々としてます。
午後はピアノに行って、それからダンスのレッスンでした。
よく頑張ってる。
学習はこちらを。
娘は娘のペースで娘なりに、よく頑張ってるなと思います。
蔵書と読書と子どもと学力
だらだらと重たい体と頭で考えています。
蔵書数と学力のこと。
蔵書ってつまりは親ですもんね。
親の持ち物だったり、親が買ったものですもんね。
「蔵書=親」と子どもの学力の相関か
と。
ひとつは、前の記事にも書いたように、自分では選ばないような本を読むようになる。
読書の範囲、興味の範囲が広がるということがあるなと。
読書の範囲、興味の範囲が広がるということがあるなと。
あともう一つ思いついたのですが、こういうことは考えられるのではないでしょうか
家にある本は基本的に、親(私)は一度は読んだことがある本なので、子どもが手を伸ばした時に、子どもと、その本について話をすることができます。こう思った、とか、この場面が、とか、主人公の行動は、結末は、とか。
例えば、息子は、『都会のトム&ソーヤー』などはやみねかおるさんの著書が好きで、図書館で借りてはよく読んでいるのですが、わたしははやみねかおるさんを読まないので、これについては、語り合うことが何もありません。
これが、うちの蔵書であるマーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』であれば、私も読んだことがあるから、息子といくらでも話ができる、ということがあります。
本を読むのは個人的な経験で、私は娯楽だと思っていますが、これが、対話に結びつくとちょっと違うなと思うんですよね。
能動的になるというか、難しくなるというか。
人と話すことがあるかもしれないという前提での読書は、個人的な娯楽ではなくなりますよね。
蔵書、つまりは親が買った本を読むということには、そういうプラスアルファがあるかもしれません。
難しいけれど、読んだそばから、感動を分かち合えるっていうのも素敵なことです。
こじつけかもしれないですが
蔵書と読書が学力に結びつくとしたら、こういうことかなと思ったことでした。


