息子の傘が壊された話の、周辺のはなしです。
息子の話には続きがあった
息子が言うことには、学校では、もっといろいろなトラブルが日々頻発しているらしい。
クラスでは、Z(仮名)という子が、A(仮名)に、俺なんかよりもっとひどくやられてる。今日はZが休みで、代わりに?Xが捕まってた。
と、息子が言う。
話を聞いてみると、体育や音楽のような教室を移動する授業の前の休み時間など、先生の目がないときに、Aくんが、Zくん(仮名)に掴みかかり、羽交い絞めにして首を絞めたり、足を払って押し倒し、教室の固い床で締め技をかけるみたいなことをすることが、最近続いているらしい。
え?…それ、締め技って…遊びではなくて?
そうね、少なくともZは、ヤダと言っているし、遊びと思ってないと思う。俺たち周りも、すぐ先生を呼びに行かなきゃっ!てなるくらいの締め方だよ。最初はみんなで止めてたんだけど、先生が、誰か怪我したらいけないから、大人を呼びなさい、仲裁は先生がやるからって。
…。
だから、Aが暴れだしたら、みんなすっ飛んで先生呼びに行って、先生が飛んできて、AをZから引きはがして、どこかに連れていくんだよ。
それは…Zくんと、Aくんの間で何か喧嘩みたいなきっかけがあったのかな、ZくんがAくんを怒らせたとか、そういう…。
ん-、俺はAともZとも仲良くないからよく知らない。だけど今日の俺の傘もそうだけど、AとかBとか、こっちが何にもしなくても、突然暴力ふるってくることはあるからね…。
…(たしかに)。
しばし、絶句、でした。
しばらくして、やっと、「こわいね…」と私が言うと「こわいよ」と息子。「みんなこわいと思う。次のターゲットは自分かもしれないもんね。」
…。
うちだけ逃げればいいわけではない
考えてしまいました。
うちは、相手は誰であれ、息子への仕打ちがはっきりと私の許容範囲を超えたら、子どもを学校に行かせなくてもいいやと考えていました。もともと、そのためにこそ家庭学習をきちんと進められるように習慣づけてきました。不戦、という考え方です。
息子はひとと距離を取り、自分は自分ということができるので、無用な軋轢はいらないと思っていました。
しかし、息子が何かひどいことをされて、もしもうちが学校を諦めたら、そのとき私たちは平和になりますが、代わりに他の誰かがターゲットになるということ、ですね。
そうか、と。
そういう考え方をしていなかったけれど、そうか、そうだよね、と。うちだけ逃げて、心平和とはいかないんだ。
小学校の思い出は
息子の学校は、先生たちが、よく頑張ってくれていて、ちゃんと双方から話を聞くし、悪いことをしたら指導もして、親にも連絡をくれる。
それでも、いまのところ、残念ながら効果はあまりないようです。学校に出来ることには限界がありますよね。どこまでが学校が引き受ける範囲のことなのか。
息子学年は乱暴な子どもたちグループがあり、時々驚くような攻撃性を見せる。また、その子たちと仲良くしている児童たちの中に、彼らに染まり増長する子たちがいる。
増長組は、大人しかったり攻撃性がうすかったりする子どもたちを見下して、時折攻撃を加えたりして、たぶん、楽しんでると思う。うちの傘の一件なんて、彼らにとっては遊びみたいなものなのでしょう。
そしてこういう状況が、みんなの小学生時代の思い出に刻まれていくんですよね。
攻撃をした子、された子、見ていた子。それぞれの親。全員の記憶に残っていく、そのことを非常に残念なことに思います。
見ていた子たちの、辛いけど見ているしかできなかったという思い出もまた、やった子、やられた子と同じように深い傷になるのではないかな…。
加害側、被害側、どちらも、親にすら、できることは限られている。どうにもならないことが多いのだとは思います。なんとかできるならしていますよね…。わたしたちには打つ手がないのが現実なんでしょうか。
でもいつか、あの頃いろいろあったけど楽しかったと、小学校時代を子どもたちに懐かしく思い出させてやりたいなぁと思います。
まずは足元からですね。
息子ともこの件、もっとしっかりと、じっくりと、話してみたいと思います。
先生は、クラスの様子をまたご報告くださるとのことでした。ご負担大きくて、申し訳ないけれど、少しでも、みんなの状況が改善することを祈ります。
長くなりましたが、お付き合いくださった方、ありがとうございました。

