こんにちは。
今朝、息子が、今日は一人で帰ってみようかな、と言い出しました。
息子の気持ちもわかります。
学童は、外に出てはいけないというルールがあるため、一年生の彼は12時半くらいに学校が終わり、それから私が迎えにいく18時半くらいまで、ずーっと学童の中にいなくてはなりません。
早めに学童を出て、ゆっくりと、道ばたの花を愛でたり石を拾ったり、走ったり歩いたりしたいのだろうな。
いまは、18時半過ぎまで私は家に着けないし、ひとりでお留守番にはまだちょっと早いよね。お母さんが在宅勤務のとき、やってみようかと伝えたらニッコリ。
子どもの安全を守ること、自主性や好奇心を応援すること、親の働き方。
バランス、バランス。
いろいろ試してみようと思います。



さて。今日の本題
母として人として、「働く」を考えています。
考えてきたこと、試していること、葛藤など、まだ何も熟成していませんが、悩むまま、ありのまま、書いて考えていこうと思います。
ダラダラ続くと思いますが、よかったらお付き合いください。
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置かれた場所で咲きなさいって本がありましたね。
私は読んでいないので、内容について語る材料を持たないのですが、インパクトのあるタイトルが印象に残っています。
置かれた場所で咲く。
この言葉について、考えていました。難しいことだなと思って。
例えば高山植物は、南の海辺ではきっと咲けないもんなあ、と。
環境に合わせて進化する花もあるかもしれないけど、進化できないことや、したくないのはダメなんだろうか。
もし私がブーゲンビリアなら、ヒマラヤに咲くユキノシタみたいになりたいだろうか、なれるだろうか。
それは私の幸せだろうか、と。
種になって、風に、あるいは鳥に運ばれてどこかにたどり着いた自分を想像します。
思ったより寒いなーとか、ああここは暑過ぎる、とか。
わたしの場所じゃないみたい。
芽が出せそうにないし、それどころかそろそろダメになってしまいそう。
逃げたいけど、私には足も羽もない…。
小さくなれば、あるいは大きくなれば、環境に適応出来るのかもしれない。
だけど私はただ、自分として咲きたいだけなんだけどなあ…と。
置かれた場所で咲くのは、場合によっては相当な絶望や無理と共に生きることだと私には思えました。
幸いにして(?)私は花ではなくて人で、しかも豊かな国日本にいて自分の生き方を選択できる。
実際、就職超氷河期世代の私は、若い時分には、働きやすい環境を求めて、転職してきました。
だけど今という現状。
いまの私にそれは選択肢として現実的だろうか。
考えます。
続きます。
◎ブーゲンビリア。画像はお借りしました。
鮮やかな美しさ。
◎関係ないけど娘。休日の夕食前の時間、いないなと思ったら、子ども机の下でスヤスヤァ…![]()
結果、その夜は、なかなか寝付かないこと![]()


