こんにちは。
最近、主に娘が、香水をけだるく歌います。
べつにきーみーをもとめてないけど
よこにいらーれるとおもいだす
きみのどーるちぇあーんどばがーなのこおすいのせいかな
なんでしょうね、物悲しさを表現するのですが、ムチムチぴちぴちの4歳児からは、可愛さしか感じられません。
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さて、今日も内容的には、昨日の続きになります。
学力とか、勉強とかについて。
1月中に、上の子と二人で、いつも行かない公園に行く機会がありました。
そこで一人木登りする少年に遭遇。
それは桜の木で、登るように植えてあるものではなく、男の子は細くて木にしがみついているさまもなんだか危なっかしくて、どうしたもんかと見ているうちに向こうが話しかけてきました。
なにしてんの?
どこ小?
なんていう話から、
いつもは友達と来てるんだけど、今日は友達は塾だからいないんだ、と樹上の彼。
ふーん、さみしいね。
頭が悪いから塾に入れられちゃったんだ。おれもバカだけど、うちは貧乏だから塾は行けない。ラッキー!
字面で見るとシビアな言葉ですが、笑う彼は明るくて、合わせて、はー、なるほどーと私もなんとなく笑って、そのうちその子は木を降りてきて、うちの子と一緒に鉄棒やら、どこから持ってきたのかボールで、サッカーの真似事みたいなことをしてしばらく遊んで、帰ってきました。
貧乏だから塾に行けない、ラッキー!って。
強がりもあるかもしれないにしても、確かに、塾なんか小学生が行きたくないというのは本音かもしれないね。
木登り少年が本当に「バカ」なのかはわからないけど、学校の授業に追いつけなくなっても追加の手当てがしてもらえない環境であれば、誰だって落ちこぼれて行ってしまうかもしれないな。
だけどあの子は、そんなことは関係なく、ちゃんと自分の人生をたくましく行くのかもしれない。
勉強のできるできないは全てではなく、人の生き方などいろいろでいいわけだから。
例えば、昨日書いた教育者の方のいうように、選択肢のために小さいときからちゃんと学習習慣をつけて行っても、そもそも「上の方の学校」というのに届くほどの学力が付かないことだってありますね。
この場合の「勉強ができない」は誰のせいでもないし、別に駄目なことでもないし、でもその時に、じゃあ別の手をと、子どもの得意、好きを見守って、子どもが伸びて行けるように支えることは、やはり親の責任のように思います。
落ちこぼれてもいいよの大きな懐も、作っておかないとな。
がんばってもできなかったとき、勉強なんか、別に大したことじゃないよって、笑って手のひらを返せるように。
そういうことも、思ったりするのでした。
究極、子どもが幸せでいてくれたらいいのだから。
通りすがりの木登り少年も、ずっと楽しそうでいてくれるといいな。
1月、そんなこんながありました。
読んでくださってありがとうございます。
悩みながら、迷いながら、行くしかないのでしょうね。
◎私が子どものころ読んだ本、息子が楽しいと言って読んでいます。
どんな話か、まっっったく覚えていなくて、子どもから聞くあらすじが新鮮です![]()
◎こちらはいつかの朝ごはん。
我が家流のみそうどん。子どもに人気です。
温まる。


