こんにちは。
短いお盆休みが終わります。
都内一泊とはいえ、少しだけ夏らしく過ごせてよかったです。
とはいえ、お出掛けした翌日は、立ち上がれないほどの疲労。
疲れた体で、楽しかったのに厭世的になるのは、やはり八月のせいでしょう。
暑さと、原爆と終戦記念日。
この夏ずっと考えていること。
ひさびさどっぷりと暗い文章になります。
ごめんなさい。
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小学校の教室で、冷房をガンガンにつけて、しかも窓を全開にして授業をしていた話を聞きました。
私の子どもも来年は小学校に上がります。
熱中症はコロナ以上にあっという間に死に至る恐ろしさを思えば、教室に空調がしっかり入っていることはありがたく、コロナ感染症対策に窓を開けての授業もまた、学校の苦肉の策と察します。
だけど一方で、こんなことをしていて、私の小さな子どもたちが大人になるころの夏、この国は人が暮らせる気温を維持できているんだろうか、という思いも頭をかすめます。
プールも海もBBQも、過去の産物になるのかもしれません。
花火も、夏祭りも、なくなっていくのかもしれません。
冷房の効いた部屋で、ひたすら気温が下がるのを待つ夏。
その冷房が、また外気を熱くしていく悪循環。
暑さは、新しい感染症の引き金にもなるでしょう。
加えて、今回の新型コロナ禍でよくわかったのは、私たちの持っている自衛の意識は、非常に攻撃的だということでした。
平和な時代に生まれ育って、皆それなりに満ち足りていれば隠しておける残虐性が、非常時にはあっという間に表に出てきてしまう。
戦争の話題に触れるとき、原爆を始めとした大きな被害をもたらす戦火への恐怖と、虐殺のような、人が人でなくなる恐ろしさの両方がありますが、コロナ感染に対する反応で、後者の恐怖の現実性を目の当たりにしたという感じがします。
八月はいつも、怖いと悲しいの両方の気持ちを行ったり来たりしますが、怖いと思う気持ちが、悲しいという気持ちを超えていくような、今年の夏。
都内泊の夜、先のことを思って悲観して、悲観しきって、思いだすのは、子どものころ考えていたこと。
戦争とか飢餓とか差別とか環境問題とか、大人が世の中を悪くしていく、と清潔な正義感で十代の私は憤っていたけれど。
大人になったいま、子どもたちの未来のために、正しい選択って何だろう。
ひとつは、こんな風にやたらと悲観しないことだなと自虐的に思うのですが。
よりよい世界を子どもたちに残したいけれど、なかなか難しいものだったよと、若き日の自分に恥じ入るような気持ち。
いまあるこの現状が私たちの選択の積み重ねの結果で、私にはとても「素晴らしい世界」と思うことは難しく、どこで間違ったか、そもそもこれが間違っているのかどうか、何が正しいのかも、わからないまま。
自分たちの世代では、次の時代のために正しい選択をしなくては、と思ったものだけど、ネットの情報に過敏に反応して右往左往しているうちに、正しい決断など追いつかず、大きな声に流されて行ってしまうみたい。
願うばかりで情けないけど、今年も願うのは
もう戦争は起こりませんように。
環境破壊が進みませんように。
人にやさしく、自分を愛していけますように、ということ。
明日から普通の生活に戻ります。
じめじめと思っていたことを短い休暇中にやっとまとめられたと思ったらこの暗さ。
つきあってくださってありがとうございます。
また前を向いていけたらいいな。
では、また!
◎スカイツリーはとてもきれいでしたし、
一泊二日の都内旅は、楽しかったです![]()
また別にまとめようかなと思います![]()

