こないだ地域のつどいの広場に行った時のこと。

そこには私たちを含め9組の母子がいて、うち5組が群れ(仲良しグループ)で残り4組はフリー(孤立)だった。もちろん私と娘もフリー。

 

群れの皆さんは、親も子どもたちもとても楽しそうに和気あいあいとしていて、私は率直に、いいなぁって思ってみていた。

 

その群れの中に一人、笑顔で感じのいいお母さんがいて、積極的にかつ自然に私たちフリーの母子にも話しかけてくれていた。

いいなぁ、とまた思った。

群れの中からじゃなくて、群れから出て、声をかけてくれている感じが伝わってきたから。

 

群れにいる女性って、多分私も自分の群れ(友達の輪)にいるときはそうなんだと思うけど、無意識に「私たち」っていう一人称になりがち。

 

孤立母子歴もずいぶん長くなっていろんなところでいろんな群れと出会う。

基本的にはみんなフレンドリーで、話しかけてもくれるけれど、「私たちはこうですよ、あなたは?」式の、結局群れの内と外って構造。

だから孤立母子は、群れの皆さんと仲良く話をしていても、相変わらず孤立母子のまま。

どちらが悪いってことじゃなくて、女子の群れってものは昔からそういうものだったと思う。

 

でもこの笑顔のいいひとは、自分はすでに群れを持っていて、その関係は良好で快適そうなのに、私たち孤立母子にも目を配り声をかけてくれる。群れを出て、ひとりの人として。

 

それは、仲間づくりが上手そうな彼女にとってだって、それなりに勇気が必要なことだよねって思う。

自分を飾らず、壁を作らず、適切に距離を取って人と繋がることができるんだなぁってまぶしかった。

昔は私だって、普通にひとと繋がり友達になれたのに、いつからか、変に気難しくなってしまったなあと反省。

考えてみれば、子どものころだって友達になるには勇気も努力も必要だった。

ひとと知り合いたいと思ったら、勇気を出して声をかけて、努力してお互いを理解しあってきたんだった。

なかなか難しいことだけれど、これからさきもしも、友達になりたいと思うような人に出会ったら、勇気と努力を傾けてみようって思った一件だった。