おじいちゃんのお葬式

悲しみ漂う雰囲気。を、自分は感じ取っている。


人が多いので初めに入る人と、入れ替わりで後から入る人に分けられていた。


初めに入った両親は

ずっとそこにいて立っているのが親族として良かれと

初めからずっと、立っていた。

故人のそばにずっといるべき、親族としてのふるまい、といった両親の価値観


後の人が入れないので中を覗くと

両親が立っていて


もうおじいちゃんには会ったの?

と聞かれた。


会ったも何も、両親含め初めの人たちがまだ中にいるから中に入れない。


私は

注意されたと感じ、

自分から積極的に入っていかなければならなかったのか、と

まだおじいちゃんに会っていないことに

罪悪感を抱いた。

被害妄想。親の思う通りにできていないこと、自分で作り上げた良識に反したために出てきた勝手な想像。


叔母(母の妹)は、まだ会ってな〜い と軽く、あっけらかんと中に入っていった。

現実と同じ役割


私はその自由奔放な様子を見て

後に続いた。

自分1人では、不安で出来ない

良い悪い、正しい正しくないで判断している、周りからもそれで評価されると思っている


(両親が)ずっとそこにいるから、後の人が入れないじゃない!

と両親に言った。

他人のせいにした。入りたいと思ったなら、その時に伝えて入ればよい。


叔母の様子がなければ、言っていない(言う勇気がなかった)感じがした。

↑二つ上に同じ


父親はバツが悪そうだった。

母親は、あらそうなの、と慌ただしく出ていった。


お葬式の会場に入ってみると、

ただの古本市?

本がズラーっと並んでいて、みんな順路に沿ってその展示を見ている、というものだった。

実際は、悲しくない。新しい発見