私はまだまだ



恥ずかしい



を基本に生きている。




何をするにも恥ずかしい。


物を扱うのも小っ恥ずかしい。

(小さい頃から「モノ」が恥ずかしい)


生活の営み、社会の営みが


おままごとのようで


何だかぎこちなくて


恥ずかしい。


相手があることだと


さらにはっきりと恥ずかしい。



これに支配されなくなる(分離する)のは


一生かかる勢いだと思うくらい。



でも今日ふと思った。




私は


「生きている」


ことはとても尊いことだと感じている。



それを根本的に


「恥ずかしい」


と思い


「恥ずかしい」


に支配されて


自分を生き切れないのは


私の尊い人生(魂)の意にそぐわないだろうなと。



ちょっと魂の気持ちがわかった気がして



涙が出そうになった。




生きていて


「恥ずかしい」


はこれからもあるだろう。


でも、だからといって


恥ずかしい気持ちでずっといる必要はない。


恥ずかしい 気持ちを常時選んで


引きずっていたら



私の人生はずっと


恥ずかしい


に支配されている


いや


私が敢えて


恥ずかしい に


支配させている


とも言えるだろう。


それでいいの?


と問われている。



「分離」という言葉が私にとって


混乱のもとになっているので



しばらく


分離 = 支配されない


と頭の中で換えてみようと思う。