昨日は小学校の学芸会でした。



元々、こういう行事は楽しみだったのですが



ただ見に行っただけなのに



やたら疲弊してしまって



娘の出番が終わったら



早々に帰ってきてしまい



その後はweb鑑賞しました照れ

(ありがたい時代です)



最近浮世離れしてしまったのか



子どもたちみんなの姿が



可愛いしカッコいいし

頼もしいし素晴らしいのだけど



どうしても「やらされてる感」を



そこに見てしまう。



そして



こういう場を設けることで



成長の証や成果を



家族や地域に発表しようという



企画側の意図や



こういう行事から



子供の成長を見出すことを期待し、楽しみ、励みにする



見る側の意識



そういうものが全部重なり重く感じられて



疲れてしまったのだと思いますチーン



もちろん私も、それを構成する中の1人です。




我が子たちはというと



長男→不参加



長女→参加




娘は人前では



引っ込み思案で



こういう場になると



踊りの振り付けはとても小ぶりになり



歌も歌っているように見えないし



歌や台詞の声もとても小さい。



合唱などで全校生徒がマスクを外していても



必ず1人だけマスクを着けています。



何度かこれまで理由を聞いてきましたが



はっきりとした答えは返ってきません。



自宅では



ハツラツとしているところを見ると



学校での彼女の在り方は



彼女なりの、



学校社会の中での



意思表示であり



彼女が外で自分の心を守る



手段なのだろうと感じていて



彼女が自ら話すタイミングまで



深く追及はしませんし



マスクを外すことも



強要はしていません。







ただ正直なところ



見ていてとても



ヤキモキしてしまう親心もありました。




今日も下向きがちで


せっかくの可愛さが


これっぽっちも発揮されていないのが


残念で



もっと出来るのに


もっと可愛いのに



何であんなに


極端に身振りが小さくて


声も小さくて


マスクも外さないんだろう…



いや、親心というより



私は


「親のせい」


だと



「自分に対して」



思われるのが怖かった。



「親から受け継いだ性格なのかな」



「親からマスクを外さないように教育されてるのかな」



そんな憶測を呼んでいるのではないかと



勝手に想像して



自分が批判されるのが



怖かったんですね。





そんな中で



学芸会が終わった後



声をかけてくださった地域の方がいました。



「娘さん、頑張っていましたね。見ていて、心が洗われました」



と。



私は、他人がそんなふうに



娘を見て下さっていたことに



ハッとして



我に返りました。



傍目には



「何であの子ちゃんとやらないんだろう」



と映っているものだとばかり思っていた私。




そうやって見ているのは



外でもない



私でしたチーン



頭では、彼女のことを



とてもよく



わかっていたつもりなのに。






やらせている、やらされている


やりたい、やりたくない


みたい、みたくない


みせたい、みせたくない


すき、きらい


上手、下手


建前、本音





色んな意識が交錯する中で



敏感な彼女が



複雑な思いを抱えつつ



出来る限りの表現をした。



決して



「上手い」表現ではないけれど



至って彼女らしい、



彼女の今の心が



真っ直ぐに現れた



表現でした。



そう思うとただただ



お疲れさま、よくやったねと



力一杯



娘を抱きしめたい気持ちになりました。





周りの目や



上手い下手に囚われる



愚かな母を



いい加減



卒業したいと思いますチュー




素晴らしい学芸会と学びの機会を



ありがとうございましたおねがい