kuさんの記事で泣いてしまった
戻ったけれど…戻ったんじゃない
わたしはどこにも行っていなかった
ただ、自分の意識の中で出てきた渦に飲み込まれて強いめまいを起こしてた
意識の向かい方が以前とは違う感覚…
より静かに、外に向いた意識が内に向いている
自分を信じきるのはいまもできない
でもそれに気づけたのが素晴らしい✨
まだ自分を赦すのも、赦しきれない
赦せない自分を許す、かな
だいぶ其れちゃったけど 笑
今日またヌーソロジーを聴いてた
どうも意識の向け方や捉え方にはわたしには合ってるみたい
目の前の空間や物体を平面にしか見えないはずなのに3Dで認知してるのは何故か…
物体を多面から認知して見ている、これが意識
時間を左から右へ流れていく、と傍で見つめている意識
時間はスライド写真のように並び
(ひとつの捉え方)
距離の中に時間がある←距離も時間も虚
見つめてる意識を虚の中に入ると今ココ
そこから距離が遠ければ遠い程ムカシ
自分の記憶は自分の中に
外に探しても見つからない
ここで、疲れた時なんかに自然と視点が遠くに行ってピントが合わなくなるのを意図的に、ナゼかやってみた❗️
するとどうでしょう平面やん❗️❗️
そうかぁ〜疲れた時ピントが遠くになっちゃうのは、常に多面的に意識を使っていてそれ以上に色々神経が疲労するような時には、無意識で意識の省エネの仕方を知っていたんだ❗️わたしたちは
だから瞑想の時は目を閉じるのね、目の前の視覚的物体や空間に対しての意識を閉じて
自分の中心に意識を向けるのね❗️
そしてそれがどんどん深く遠くなるとより太古の記憶がでてくるん…かも⁉️
(ちょっと体感ないでまだわからん)