
1992年の話をもう少し
その前の年のオールスター出場を「トップドライバーと走れたという喜びのなかで終了しました」と締め括りましたが、実は少し(相当かも)物足りなさが残りました
当時、ダートトライアルの花と言えば、モンスタースズキスポーツカルタスやキャロッセGTO等が走っていたD車でした
突然ですが、ここで問題です
しかし、私は新潟のオールスターで、そのD車を見ることが出来なかったのです
なぜでしょうか?
ちょっと考えてくださいね
答えは、
オーガナイズ上の問題からA車が土曜日、C車、D車が日曜日という変則的な日程で開催されたからです
そりゃあ、日曜日まで残ってればD車を見ることが出来たでしょうが、経費的なこともあったので、土曜日のイベントが終わったら帰っちゃったんです
仮に見たとしても、同じイベントっていうイメージじゃ見れなかったでしょうしね
なので、土曜日はスター選手も少なかったし、ギャラリーも少なかったので、ビックイベントに参加したという気があまりしなかったんです
ビックイベントに出たい⇒全日本戦に出よう!
安易な発想です
当時のオールスターを除く全日本戦は、見るイベントとしての確立を図っていた頃で、ギャラリーが飽きずに見られるようにということで参加台数が100台程度に押さえられていました
なので、選ばれたものだけが出られるビックイベントと言う感じでした
1992年の全日本の第1戦は九州の三井からスタート
申込みました
しかし、主催者から送られてきたのは現金書留
不受理です
第2戦の名阪
不受理です
本当は、三井か名阪が参加しやすくて良かったんだけど
こうなれば受理されるまで頑張ります
第3戦の信州も不受理
第4戦の砂川はさすがに行くのに困るだろうと申込断念
第5戦の丸和も不受理
そして第6戦
待ちに待った受理書が!
場所は田沢湖ミナミユースランドサーキット
秋田県です
不受理続きだったので、まさか受理されるとは思ってませんでした
なので、どうやって行くかなんて考えてませんでした
受理書が来てからバタバタしたのをよく覚えています
さすがに自走では、なにかあったら困るので、知り合い経由で積車を借りて、一人で走るのは厳しいので宇都宮に住んでる友達に秋田までの運転を依頼
金曜日の朝、高松を出て宇都宮経由
土曜日の朝には無事に会場到着
土曜日の公開練習終了後は田沢湖でボート遊び
秋田県に行ったのは初めてでした(それ以降も秋田県は行ってないですね)
そして本番
雨です
あーあ
やっぱりダートラはドライで走りたいです
公開練習はいい天気だったのに
だんだん雨も強くなったので、実質、第1ヒート勝負になってしまいました
冬はスキー場の特設でバンクのあるコーナーが慣れない私には走り難かったと記憶しています
元々、遅いのに、その実力も出し切れなかった感じで終了
結果は11位
最下位です
A2の台数枠は少なかったんですよね
この時の優勝もスズキワークスのカルタスの原選手
参加車両の内訳はシティ9台、カルタス2台
シティが完全に主流の中でのカルタスでの優勝です
でも、この年の原選手って地元の砂川と田沢湖での2勝しかしてないんですよね
パワーはあるけど乗りにくいと言われてたカルタスでウェットで勝ってしまうのは凄いですよね
また待望?のDクラスは田嶋選手が優勝
とりあえずスーパーDを間近で見ることができたのは良かったてす
そして帰路
積車のオルタネーターが壊れた!
盛岡で高速に乗る前だったのは不幸中の幸い
ディーラーを探して飛び込んだけど、日曜日の夕方
翌日の昼過ぎまでは直らないと言われて盛岡に宿泊することに
宇都宮の友達にも迷惑はかけたけど、『わんこそば』を初体験!
観光も出来たので、今となっては良い思い出かも
競技車じゃなくて積車にトラブルという変な結末になってしまったけど火曜日の朝には無事、高松に帰ることが出来ました
(つづく)
※写真は田沢湖ミナミユースランドサーキットでのものです