1991年はシリーズ3位となり、予定どおり?H木さんがオールスターを辞退したため、繰り上がりで出場のチャンスが巡ってきました
(当時は繰り上げは認められていたもののクラスの出場枠2は絶対的なものでした)

全日本選手権が年1回のオールスターダートトライアルで争われていた時代から、1989年には現在のような全国を転戦するシリーズで争われるようになり、オールスターの位置付けも変わってきてはいましたがオールスターダートトライアル出場はデビュー当時からの目標であり夢でした

開催地はトライアルゾーン新潟と遠かったけれど、迷うことなく出場することにしました

なお当時のオールスターダートトライアルは全日本ダートトライアル選手権の最終戦として開催されていました

で、どうなったか

写真はオールスターのものです

なんか変な所を走ってますねぇ

高低差のある難しいコースで、更にウエットの赤土は無茶苦茶スリッピー
全く思い通りに走れず24位
ブービーでした

まあ実力的にも当然かなぁ

ちなみに優勝は当時はスズキだった原宴司選手
車は34Sカルタス
車のコントロールが抜群に上手くて感動したのを覚えてます

リザルトをみると1分半のコースで8秒以上離されてました

ということで、私のビックイベントデビュー戦は走りは全くでしたがトップドライバーと同じコースを走れたという喜びのなかで終了しました