ローンで買った新車のシティにスターレットを売ったお金や、それまでの貯金などを投入して開幕戦までに車は完成!
そして、最新鋭の車で迎えた1991年
開幕戦の結果は4位とまずまず
そして第2戦では2位!
早くも準優勝です
『Speed Mind』誌によるとA1クラスの出走台数は25台、1位ととも0.15秒差やし凄いじゃない
乗り換えて2戦目で初メダル、それも銀メダルをゲットしてたんですね
あれぇー???
私が、そんなに速い訳ないんだけどなぁ
そうです
これは単なるマグレだったのです
第3戦と第4戦は4位が続き、なんと第5戦からは3戦連続入賞圏外です
第8戦では4位に復帰?したけど第9戦ではまた圏外
この年は全10戦中8戦が香川スポーツランドで、2戦が高知の砕石場特設
特に高知がダメだったみたいです
まだまだスターレットも走っていたので、これまでとは逆に私がハンデを貰っている状態なのにねぇ
そして最終戦
既にサンダル男(Speed Mindにそう書いてあるんです。もちろん例のサンダルがトレードマークのR三さんです)が7勝もマークしておりチャンピオンは確定済
前年のチャンピオンのH木さんが2勝でシリーズ2位
34Sカルタスはパワーはあるけど乗りにくいのかなぁ
鳴門金時さんは、この年はお休みだったし、1991年のA1クラスはまさにサンダル男の独壇場でした
この時点で、私は2位が1回、4位が4回
速いという感じのリザルトは残してないのに、意外にもシリーズ3位の可能性がかろうじて残っているシリーズ4位でした
シリーズ表彰は確定していましたが、シリーズ2位のH木さんがオールスターには行かないという噂があったので、もしシリーズ3位ならオールスターかもという期待もり、無茶苦茶気合いが入っいたのをよく覚えてます
結果はサンダル男が優勝で8勝目
H木さんのマシントラブルにも助けられたようで、私が2位
そしてシリーズは、ポイントで3位に並び、上位入賞回数が私の方が多かったということで私がシリーズ3位になりました
こうして1991年の四国選手権シリーズは、車と運に助けられ、シリーズ3位という実力以上の結果を残すことができました
(つづく)
そして、最新鋭の車で迎えた1991年
開幕戦の結果は4位とまずまず
そして第2戦では2位!
早くも準優勝です
『Speed Mind』誌によるとA1クラスの出走台数は25台、1位ととも0.15秒差やし凄いじゃない
乗り換えて2戦目で初メダル、それも銀メダルをゲットしてたんですね
あれぇー???
私が、そんなに速い訳ないんだけどなぁ
そうです
これは単なるマグレだったのです
第3戦と第4戦は4位が続き、なんと第5戦からは3戦連続入賞圏外です
第8戦では4位に復帰?したけど第9戦ではまた圏外
この年は全10戦中8戦が香川スポーツランドで、2戦が高知の砕石場特設
特に高知がダメだったみたいです
まだまだスターレットも走っていたので、これまでとは逆に私がハンデを貰っている状態なのにねぇ
そして最終戦
既にサンダル男(Speed Mindにそう書いてあるんです。もちろん例のサンダルがトレードマークのR三さんです)が7勝もマークしておりチャンピオンは確定済
前年のチャンピオンのH木さんが2勝でシリーズ2位
34Sカルタスはパワーはあるけど乗りにくいのかなぁ
鳴門金時さんは、この年はお休みだったし、1991年のA1クラスはまさにサンダル男の独壇場でした
この時点で、私は2位が1回、4位が4回
速いという感じのリザルトは残してないのに、意外にもシリーズ3位の可能性がかろうじて残っているシリーズ4位でした
シリーズ表彰は確定していましたが、シリーズ2位のH木さんがオールスターには行かないという噂があったので、もしシリーズ3位ならオールスターかもという期待もり、無茶苦茶気合いが入っいたのをよく覚えてます
結果はサンダル男が優勝で8勝目
H木さんのマシントラブルにも助けられたようで、私が2位
そしてシリーズは、ポイントで3位に並び、上位入賞回数が私の方が多かったということで私がシリーズ3位になりました
こうして1991年の四国選手権シリーズは、車と運に助けられ、シリーズ3位という実力以上の結果を残すことができました
(つづく)