赤い羽根の共同募金、ユニセフ、災害支援の寄付。
協力したことがある方も多いと思います。
でも、ふとこんな「モヤッ」とする
瞬間はありませんか?
「これ、本当に困っている人に届いているのかな?」
善意で動いているはずなのに、
心のどこかで小さな疑念が顔を出す。
実はこれ、あの「聖人」と呼ばれた
マザー・テレサも同じでした。
聖人への批判。その意外な背景
世界中から尊敬を集めたマザー・テレサ。
路上で倒れている人、
家族に見放された人に寄り添い続けました。
しかし、その裏では激しい批判も受けていたのです。
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「医療体制が不十分だ」
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「寄付金の使い道が不透明だ」
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「苦しみを美化しているだけだ」
どんなに崇高な活動でも、
100%理解されることはありません。
一度火がつけば、中身を知らない人まで加わって叩く。
それが「世の常」なのかもしれません。
「空気に謝る」という儀式
芸能人の謝罪会見を見て、
「誰に対して謝っているの?」と感じたことはありませんか?
あれは、私たち一人ひとりに謝っているのではないんです。
社会に漂う「空気」の温度を下げるための儀式なんですね。
行動すれば、必ず賛否が生まれます。
それは、私たちの日常やビジネスでも全く同じです。
脳は「新しいこと」を嫌う
何かを始めようとするとき、
「叩かれたらどうしよう」
「変な目で見られたら嫌だな」
と不安になるのは、あなたが弱いからではありません。
脳の仕組み
(ネガティビティ・バイアス)のせいです。
人の反応は、ざっくりこんな割合になります。
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熱烈な味方:3〜5人
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静かに見守る人:20〜30人
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無関心:60〜70人
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批判する人:1〜2人
私たちは、つい
「1〜2人の批判」を100人分くらいの重さに感じてしまいます。
でも本当は、残りの98人は味方か、
そもそも気にしていません。
批判がないということは、
誰の心にも触れていない証拠。
起きてもいない不安で、98人の可能性を消してしまうのは、
もったいないですよね。
「クレームは反響」という考え方
私は仕事柄、ポスティングの依頼を多く受けます。
もちろん、クレームが出ないよう徹底的に対策した
「投函禁止リスト」も持っています。
ですが、
アドバイスを求められたときはいつもこう伝えています。
「クレームも反響のうちだよ」
なぜチラシに怒る人がいるのか?
それは「売り込まれている」と感じるからです。
でも、もしその情報が
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いつか必ず役に立つこと
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知らないと損をすること
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人生が良い方向に変わるきっかけ だったらどうでしょう?
価値ある情報を「届けないこと」は、
むしろ罪ではないか。
私はそう考えています。
商売とは「余計なおせっかい」
「なんだよ、もっと早く言ってよ!」
そんな経験はありませんか?
相手は気を使って言わなかったのかもしれませんが、
言われなかった方はどこか寂しい。
商売も同じです。
強い想いがあるなら、
届かないまま終わるのが一番怖い。
届けずに後悔するくらいなら、
届けて嫌われたほうがまだマシです。
(※少し攻めた考え方なので、自己判断でお願いしますね!)
目の前の一人に、全力を出す
マザー・テレサは、
世界を救おうとしたわけではありません。
彼女が見ていたのは、
常に**「目の前の一人」**だけでした。
世界を変えなくていい。
完璧じゃなくていい。
まずは、目の前の一人のために何ができるか?
その小さな「引き算の行動」から、
すべては動き始めます。
「私は万人を救うことはできません。
でも、目の前の一人を救うことはできます。」
もし今、あなたが「想いがあるのにうまく伝わらない」
と悩んでいるなら、まずは一歩、踏み出してみませんか。
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批判されてもいい。誤解されてもいい。
大切なのは、目の前の一人に誠意を込めて向き合うこと。
あなたの一歩が、誰かの光になりますように。
🌑 P.S.
マザー・テレサは晩年、
「私の中には暗闇しかない」と孤独を語ったと言われています。
完璧な聖人ではなく、
迷いながらも歩き続けた一人の女性。
愛には誤解がつきもの。
それでも手を伸ばし続けた彼女の強さを、
私は信じています。
