November① 2011

椿の花に宇宙を見る―寺田寅彦ベストオブエッセイ/寺田 寅彦
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よく社説欄などで寺田寅彦の随筆が引用されたりしていて、ずっと気になっていた。図書館で検索したところ、池内了の編集でベスト版があることを知った。池内了は大学の講義でお世話になったことがあり、何となく他人の気がせず、迷わず借りることに。

蛆(うじ)の効用についていろいろな分析をしている。寺田の生きていた時代でもすでに蛆が駆逐され始めていて、はたして蛆を絶滅させることが人類にとってプラスになるのか?という疑問を投げかけている。これは現代にもまったく当てはまることで、いろいろなばい菌が社会から目の敵にされているが、ばい菌がまったくない環境で生活することが健康長寿につながるとは思えない。

この随筆集を読むと、寺田の随筆はこういった、現代にも通じることに科学的観点から一言申す、という形の随筆が多い。というか、ひとつの随筆の大半の部分は普段目にする現象に科学的考察を与え、最後に社会や人間の本質を顧みる、という形が多い。これは、科学が社会と切り離されてはおらず、科学的知見が社会を見る目としても役立つということを感覚として寺田が持っていたからだろうか。

また、寺田は五感をフルに活用して普段の生活から観察・実験をしている。実験といっても道具を使うわけではなく、誰でも今すぐできるようなことだ。ただそれをやってみようとするかどうかの違い。

「近代の物質的科学は、人間の感官を追放することを第一義と心得て進行してきた。(中略)これほど精巧な、生来持ち合わせの感官を棄ててしまうのは惜しいような気がする。」

腕をいっぱいに伸ばして指を直角に曲げ視線に垂直にすると、指一本の幅が視覚にして約2度。太陽や月の直径の視覚が約0.5度。これってかなり有効なものの測り方だ。今の教育ではこういう「概略な見当のつけ方」を教えない、と寺田は嘆いているが、まったくその通り。。。寺田の時代から「お勉強」教育が始まっていたのか、ということがよくわかる。ずっと昔に警鐘を鳴らしてくれていたのに現代の教育の状況を見たら寺田は墓の下で心底がっかりするだろうなぁ。。。

それから、満員電車は駅を通過するごとにますます満員に、空いている電車はますます空く、というような現象を説明しているのもおもしろい。電車の混雑状況には周期性があり、1,2本見過ごせば空いている電車に快適に乗れるのに、人はわれ先に満員電車に乗ろうとし、その行為でさらに満員度合を増進させるように努力していることになるそうだ。この観察は本当におもしろい。何か哲学的ですらある。

火の玉や人魂を怖がらない子供たちを見て、こういっている。「そういうものを怖がらない子供らを、少しかわいそうなようなきもするのである。怖いものをたくさんにもつ人は幸福だと思うからである。怖いもののない世の中を淋しく思うからである。」これでこの随筆は終わっているが、なんとも余韻のある終わり方だ。科学的に火の玉の検証をしていたかと思うと、最後にこういう哲学的な思想が書かれているのが寺田の随筆のパターンでもある。

「落ちざまに虻(あぶ)を伏せたる椿哉」という漱石の句があるらしい。これにも科学的な検証をしている。通常、椿は下向きに落ちても空中で回転して上向きに地上に落ちるらしい。(ただし地面に近いところから落ちると一回転する間がなく、そのままうつむきに落ちることもある。)寺田の考察によると、虻が椿の花にしがみついていたために、微妙なバランスが崩れ、一回転できずにそのままうつむきに落ちたのではないか、だから「虻」と「伏せる」はセットなのだと。ははぁ、俳句もそうやって読み込むことができるのか。まったく脱帽。

その他、気になった随筆の一部を抜粋。

「虫のすることを見ていると実におもしろい。そして感心するだけで決して腹が立たない。私にはそれだけで十分である。私は人間のすることを見ては腹ばかり立てている多くの人たちに、わずかな暇を割いて虫の世界を見物することをすすめたいと思う。」

「科学の進歩を妨げるものは素人の無理解ではなくて、いつでも、科学者自身の科学そのものの使命と本質とに対する認識の不足である。深く鑑みなければならない次第である。」