「心の告げることを信ぜよ、天よりの保証はすでになし」


心の告げることを信じている?んなわけない。本当は血沸き肉踊る興奮、喜びを求めてる。何かをつかみたい。安っぽい言葉だけど信念のために行きたい。これのために生き、これのために死んだっていいと思えるものがほしい。理不尽に生まれて、理不尽に生きることに答えを見つけたい。

いいかげんに一人立ちしなければいけない。答えを見つけたい。人であることを積極的に受け止めていきたい。人ってのは勝手に息すって脈打って何かの力で始まって何かの力で終わる、ただそれだけの存在ではない。心のままに、本当に心のままに自分の意思で存在したい。「これが生きてるってことだ」ってものを追っかけていたい。

心の告げることを信ぜよ、天よりの保証はすでになし。

神がいる、いないの問題ではない。私たちより主体的に生きてるんじゃないか、本当の意味でのキリスト者ってのは。どう考えても絶対に神はいない。そんなことは大前提だけど、それでも自分から自分の思うものを信じる。

この言葉を知ったとき、そんなことを考えた。。。。みたいだ。

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「心の告げることを信ぜよ、天よりの保証はすでになし」 これはシラーの「願望」という詩の一節らしい。いつどこでこの言葉を知ったのか覚えていない。でもこれを知ったときにたぶん結構な衝撃を受けたんだろうなぁ。

最近、上記のメモがぴもーの引き出しから発見されたんだけど、紙ナプキンに書かれてたから、どっかのカフェかレストランで本でも読んでてハッとして急いで書いたんだろう。紛れもなく自分の字だけど。。。全然覚えてない。
それほど感銘を受けたことも今となっては・・・ってのが悲しい。今シラーのこの言葉を読んでもそれほどの感銘はない。むしろこのメモが恥ずかしく感じる。それが大人になるってことか。

でもこのヨレヨレのメモを読んでどきっとしたのは確かだ。

たった今ぴもーが思っていることも、ほんの数年くらいですっかり忘れてしまって、感じ方・考え方はまた変わっていくんだろうな。そう考えると書いておくということはやはり無駄ではない。気恥ずかしくなるのはわかっているけど、それでも書いておきたい。・・・成長のバロメータ、もしくは妥協と諦めのバロメータか。