書くこと。そして伝えること。
ブログを始めてもう2年が経ちました。
当初の予想通りあまり更新できてないけど、ほそぼそと続けてるだけでも我ながら感心。
このAmeba blogは2年の間にだいぶ変わって、いろんな(余分な?)機能がついてしまったけど、まぁ編集しやすくデザインの選択肢は広がったかな。
結構いろんな本を読んできたなー。たまに振り返ってみるとおもしろい。
すでに内容を忘れてる本もあるけど、自分のブログを見ると思い出せるからいいね。
それにしても何で人は文章を書くんだろうねぇ。
記録のため?「王様の耳はロバの耳」的ストレス解消?自分を理解してほしいという欲求?
自分の言葉で人を動かしたい・世界を変えたいという思い?純粋に想像力・創作意欲のままに?
読者がいなくても書くのかな?
そういえばブログのおかげで、普通の人がものを書く機会は増えているのでは?
一般に、普通の人が書くものというのは、
①公開しない
②匿名で公開する
③著者がわかる形で身の回りの人々に公開する
④著者がわかる形で自分の知らない人に公開する
のどれかになると思うけど、インターネットが普及していない頃は、普通は①か③という選択肢しかなかったし、公開にはお金や時間がかかっただろうし、内容の良し悪しも問われただろう。
でも今は、簡単にタダで誰でも内容の良し悪しに関わらず可能になった。
これがいいことか悪いことかの判断は難しいけど、ぴもー的にはブログの存在は非常にありがたい。
ネットさえあればどこからでもいつでも作成・編集ができて、思ったときに書けるということ。
それが何よりもスバラシイ。
やっぱり「今書きたい!」という思いは突然湧き上がってくるし、時間が経ってしまっては書けない内容もある。
(そんなわけでこんな時間に書いてますw)
そう思うと、純粋に何かに心が動いた時、それを誰かに伝えたいというのがぴもーの「書く理由」かな。
そうするとじゃぁなんで自分の思いを誰かに伝えたくなるのか?ということになる。
これについては最近考え中・・・。
ヒントは、ケネディ大統領が暗殺された時、その翌日にはアメリカ全土の90%以上の人がそのニュースについて誰かと語り合ったというデータ。(昔、中学校の国語の教科書に載っていた文章より。うろ覚えだから数字は間違ってるかも。)
今で言うならSeptemberElevenに相当するだろう一大事件について、誰もが「誰かと話したい」という欲求を持ったということ。
しかもそれは一度誰かと話したら満足ということはなくて、同じことについて複数の人に何度も話したということ。
これって考えたら不思議じゃない??
まぁまだ考えがまとまってないので、とりあえずこの文章をもう一度読み直してみたいなー。
ブログを始めてもう2年が経ちました。
当初の予想通りあまり更新できてないけど、ほそぼそと続けてるだけでも我ながら感心。
このAmeba blogは2年の間にだいぶ変わって、いろんな(余分な?)機能がついてしまったけど、まぁ編集しやすくデザインの選択肢は広がったかな。
結構いろんな本を読んできたなー。たまに振り返ってみるとおもしろい。
すでに内容を忘れてる本もあるけど、自分のブログを見ると思い出せるからいいね。
それにしても何で人は文章を書くんだろうねぇ。
記録のため?「王様の耳はロバの耳」的ストレス解消?自分を理解してほしいという欲求?
自分の言葉で人を動かしたい・世界を変えたいという思い?純粋に想像力・創作意欲のままに?
読者がいなくても書くのかな?
そういえばブログのおかげで、普通の人がものを書く機会は増えているのでは?
一般に、普通の人が書くものというのは、
①公開しない
②匿名で公開する
③著者がわかる形で身の回りの人々に公開する
④著者がわかる形で自分の知らない人に公開する
のどれかになると思うけど、インターネットが普及していない頃は、普通は①か③という選択肢しかなかったし、公開にはお金や時間がかかっただろうし、内容の良し悪しも問われただろう。
でも今は、簡単にタダで誰でも内容の良し悪しに関わらず可能になった。
これがいいことか悪いことかの判断は難しいけど、ぴもー的にはブログの存在は非常にありがたい。
ネットさえあればどこからでもいつでも作成・編集ができて、思ったときに書けるということ。
それが何よりもスバラシイ。
やっぱり「今書きたい!」という思いは突然湧き上がってくるし、時間が経ってしまっては書けない内容もある。
(そんなわけでこんな時間に書いてますw)
そう思うと、純粋に何かに心が動いた時、それを誰かに伝えたいというのがぴもーの「書く理由」かな。
そうするとじゃぁなんで自分の思いを誰かに伝えたくなるのか?ということになる。
これについては最近考え中・・・。
ヒントは、ケネディ大統領が暗殺された時、その翌日にはアメリカ全土の90%以上の人がそのニュースについて誰かと語り合ったというデータ。(昔、中学校の国語の教科書に載っていた文章より。うろ覚えだから数字は間違ってるかも。)
今で言うならSeptemberElevenに相当するだろう一大事件について、誰もが「誰かと話したい」という欲求を持ったということ。
しかもそれは一度誰かと話したら満足ということはなくて、同じことについて複数の人に何度も話したということ。
これって考えたら不思議じゃない??
まぁまだ考えがまとまってないので、とりあえずこの文章をもう一度読み直してみたいなー。