September 2006


珍しく外国文学。しかもロシアンです。
マイナーなのかな?いつも通りアマゾンのリンクを貼ろうと思ったら見つからなかった(x_x)

思っていたよりも読みやすく、一週間くらいで読み終わった。
ロシア文学というとどうしても重たいイメージがあるけど、これはわりと若さの愚かさや恋愛の切なさといったわりとありがちなテーマで、結構気楽に読めた。

前から思ってたけどロシア文学って作者の気持ちが織り込んであって、話と関係のないことも脱線して書き綴ってたりする。
批評家への皮肉やら、自分が書きたいことについての説明やら、自分のそのときの境遇やら。。。
こういうのが入ると冗長になって気持ち悪いし、読者への言い訳のように感じてぴもー的にはあまり好きでない。

内容を簡単に言うと、主人公オネーギンは豊富な財産を持ちながら夢も野望も持たず投げやりな生活を送っている。ある時オネーギンがかつてこっぴどく振った少女ターニャが数年後に美しく気高い貴婦人となって将校の奥方になって偶然現れる。それを見てとてつもなく後悔するが、ターニャは毅然とした態度で動揺ひとつ見せない。それがかえってオネーギンの心を揺さぶる・・というところ。

死にそうな思いで告白をした少女に、侮蔑を押し隠した冷静な心で諭すようにターニャを振った上、自分の友人への当てつけにターニャの妹を口説いてみたりしたオネーギン。

オネーギンがターニャを振った理由は結婚が自由の足かせにしか思えなかったから。(この当時は告白=付き合う=結婚みたい。)
オネーギンの考え。「自らわが身を不自由にして何がうれしいのか。」
愛やら結婚というものに夢を抱くことに胡散臭さや偽善・自己満足を感じてしまい、そういうものにあこがれる人間をあざ笑うような気持ち。
・・・それってぴもーの中にもありそうだ。。。

でも結局オネーギンは自分の愚かさに気づき、深く後悔する。

この文章の中でリフレインされている言葉は、「○○の人は不幸せである。××の人は幸せである。」という言葉。
これが結構重みがあるし、語感としてもいいリズムを作っていて記憶に残った。

この定義によると明らかにぴもーは不幸せの要素ばかり持っている。
調子に乗ったオネーギンのようになってしまっている。
ちょっとしたことで友人を攻撃したり、いたずらに人の心を揺さぶってみたり、自分の心に余裕がない。
人の心を軽んじている。側にいてくれる人のありがたみを理解していない。

・・・警鐘はもらった。さてどうするか。

人間は「津波が来る」と聞いても8割以上の人は逃げないらしい。
「まさか自分が」という意識が非常に強いのだ。

第二のオネーギンになりたくはないが。。。