May 2006

大江 健三郎
万延元年のフットボール

こちらも先輩に借りた本。初めてノーベル文学賞受賞者の作品を読む。
「こころ」に引き続き、世の中で批評がゴマンとあるだろう作品だけど、感想は(勇気を持ってw)正直に書く!

覚えておくためにざっと内容を書くと、東京に住む主人公が友人の自殺について考えることから始まる。主人公と妻の間にできた子は障害児で施設に預けている。妻はアルコールに依存していく。主人公の弟は安保闘争で傷ついていて、暴力的なものに憧れを持っている。主人公の出身は四国の小さな谷間の村。子供の頃に主人公の兄は朝鮮人に殴り殺され、その後、妹も自殺。そして時代を遡って、曽祖父の弟は万延元年の百姓一揆のリーダーであり、曽祖父はそれを鎮める側だった。主人公夫婦と弟、弟を崇拝する少年少女の6人は、それぞれの希望をもって東京を離れ、谷間の村に向かう。

始めに読んでわかることだけでも重いけど、読んでいっても本当に重い。。。

内容を全然知らなかったので、初めはタイトルの意味が全然わからなかったけど、読み進めていく内に意味深いタイトルだなと気づく。(ぴもーはカバーについているあらすじは読み終わるまで見ないようにしている。)
「万延元年のフットボール」というのは、主人公の弟が村の若者を集めて始めたフットボールが万延元年の一揆の影響を受けているというところから来ている。
この弟がほんとにギリギリの人。「俺の秘密を話してやろうか」という言葉がこの人のすべてを表しているような気がした。秘密という言葉に酔っているような、とてつもない秘密があるから自分は特別だというような感覚。恐ろしい罪悪感を感じているのに、その秘密のおかげで強くなれる。誰かに言いたいのに言えない。でも自分が死ぬときにはきっと誰かに伝えて許されたい。それだけが生きる理由のような、なんというか・・いつか人を殺すか自殺するかっていうギリギリの人。ぴもーの周りにそんな人いないけど、そういう人の空気を痛いくらいに伝わってきて、こういう人の存在もリアルに感じた。

主人公の曽祖父の話や一般的な歴史の話が結構出てくるんだけど、過去、歴史というものは厳然としたある事実として存在するはずなのに、人によってとらえ方がまるっきり違うもんだなと改めて感じる。みんなそれぞれ自分の信じた歴史を持っている。それは肯定的であったり否定的であったりするんだけど、どちらにしても、一つの証拠によって今まで信じていたものが根底から覆ってしまうことがある。この小説のハイライトもそういうところにある。これを知っていたら弟と主人公は・・・と、どうしても「たられば」を考えてしまう。
主人公が自分の曽祖父の時代のことを調べようとする気持ちや、それと関連付けて自分や弟のことを考える気持ちは正直、ぴもーにはあまり理解できなかったが、村の歴史の中ですさまじいと言える歴史を刻んだ事件があるからそれは当然なのかな。自分と自分の祖先を結びつける考えは嫌いだけど、実は一番おもしろい歴史の紐解きなんだなぁと少し考え直した。

歴史、反社会意識、民族意識、村社会、祖先、夫婦、兄弟、子供、、、すべてに閉塞感や絶望を感じるけど、それでも主人公は再生していく。東京の自宅の穴に座り込み、一人絶望を感じ、故郷の蔵の下で再び座り込み、這い上がる。
谷間の村の森、人々、寺、スーパーマーケット、すべてが空寒いような生暖かいような暗澹としている空気をかもし出していて、最後までどこにも希望はない。だから再生といっても活力に溢れた再生ではなく、のろのろと立ち上がったという程度なんだけど、とてもいい最後だった。こんな風でも人は生きていこうとするんだなぁと思った。

でも人に薦められる本ではないかもねぇ。。。