March 2006

夏目 漱石
行人

引越しする先輩から荷物預かりがてら(?)借りて読んだ。久しぶりに純文学。夏目漱石って『こころ』以外にまともに読んでないんだな、考えたら。てか読書ブログ書いてるくせに読書量がハンパなく少ないぴもーには当然!そりゃ太宰治も森鴎外もほとんど読んだことございません。


なのでこんな純文学について浅薄な感想を書くのは忍びないけど、あくまでもここはぴもーの読書録!けど批判は随時受け付けてます。自分を批判してくれる人こそ人生の友ですので。弱っちいぴもーとしては面と向かって批判されると凹んじゃうので、匿名的な批判の方が受け付けやすいっす(笑)


最初どんな話か全然知らなかったので、どんどん舞台や話題が変わっていってちょっと妙な感じがした。

それに結局どこに話が行きつくのかと不審に思いながら読んでたら、そうやって終わるんか!という形で終わってしまった。


かなり重要な部分であるはずのものが抜けている。二郎と直の気持ち(恋愛感情のベクトル)が実際どこに向いているのか、一郎がなぜ直を愛するのか、なぜ直が一郎に冷たいのか、なぜ一郎は直と二郎の仲を疑うのか、というのは全然書かれていない気がする(ぴもーの読み取りが甘い??)。


そのへんが巨匠たる所以なのかなー。ある特定のケースでの人間の感情というより、もっとジェネラルなものにしたかったんかね?理由や説明を書くということは限定するということでもあるから。終わりだってめちゃ読者の手に委ねて来てるし。ぴもー的には、もっと具体的に書いてくれたほうが入り込みやすくて好きだ。誰が誰を何で好きかってちゃんと説明せい!っていう要求は理系の性なのかな(笑)


父がした、盲目の女の話。ぴもーがこの立場だったら、彼女を安心させる嘘をついちゃいます、ハイ。嘘をついても誰にも迷惑が及ばないもので、かつ相手が(潜在的に)望んでいる嘘であれば、そりゃもうつくしかないと、ぴもーは思ってました。でも本当に自分が相手の気持ちになったら??一郎は潔癖すぎるけど、大事な疑問を投げかけてもらいました。


それから最後の方のキーパーソン(?)になっているHさん。この人、ぴもーにそっくりです。この人ほど賢くないし、一郎がぴもーに心やすく話してくれるとは思えないけど、何か行動が似てる。自分よりも高尚な世界で悩んでる人に対して、何て言ってあげたらいいかわからない上に、そもそもなぜ悩むのかということもあまり理解できない。それでも何とかしなきゃと思って浅薄なアドバイスをしたり、いろんな問をかけたりする。でも逆に問い返されて答えに詰まって信頼を失うタイプ。


そこが自分の短所のような長所のような。ぴもーを知りたければ行人を読んでHさんを想像してくだされ(笑)


気になる表現があったのでいくつかメモメモ。。。


柔らかい青大将に身体を絡まれるような心持もした。> この気持ち、なんかわかる。うまい表現ですなー。


「燈影無睡を照らし心清妙香を聞く」> 杜甫の詩句中かららしい。寝ないで修行する僧を燈が照らして心清らかに妙なる香りをかぐそうな。寝ないで修行とかぴもーにはムリだけど、なんかかっこいい。本当の僧って生きてるか死んでるかの境があいまいになってきそう。


「夫の怒を利用して、自分の優越に誇ろうとする相手は残酷じゃないか。君、女は腕力に訴える男より遥かに残酷なものだよ。僕は何故女が僕に打たれた時、起って抵抗してくれなかったと思う。抵抗しないでもいいから、何故一言でも言い争ってくれなかったと思う。」> ふむ。こういうのを残酷って言うのか。性格悪いかもしれんけど、こういう抵抗力ぴもーは好きだな。人間らしい。人間にしかできないし、人間にしか通用しない抵抗力。


フランスの象徴派詩人マラルメの話。いつも座る椅子を何も知らない新参者にとられたとたんに落ち着きがなくなり、いつものように人々に感銘を与える話ができなくなったマラルメさん。> 幸いにしてぴもーの持ち合わせない性質。でもこういう人っているよね。賢い人に多い。譲れないこと・許容できないことを持つのは大事。俗っぽいもの・道理に合わないことに負けないことも大事。だけど、どれだけのことを許容できるかっていう尺度でも人間の大きさは測れると思う。そのへんの兼ね合いが難しい。何が妥協で、何が許容か?


モハメッドの話。「山を呼び寄せてみせる」と言って山に呼びかけたが、当然山は来ない。でもモハメッドはけろっとして「自分は山に呼びかけたが山の方ではこちらに来たくないようである。山が来てくれない以上、自分が行くしかないだろう。」と言った。> そうか、宗教ってそういうことだったんだ☆そうだよ、何で山の方に歩いて行かない?その答えを持たない者は何だ??


結局、一郎は自分から「行く人」になるんだろうか?そしてぴもーは??