難しい問題だにゃ~(+。+)


中学・高校の時は「低い山をたくさん登るより、高い山を一つ登った方がいい」と思ってた。つまり、他のことを犠牲にしても、あることに専念して人並み以上の何かを残すべきだと信じていた。その方が人よりも美しい景色や感動を味わえるし、普通の人は直面しないような苦しみを味わうことで強くなれる。


ただ今は100%そうとも思えない。低い山をたくさん登った方が多様な景色を見ることができるし、多くの人に出会える。そして、「よし、今度は別の山に登ろう」という勇気を持っているということでもある。


どうしてこんなことを書いているかというと、先日友人の悩み(愚痴?)を聞いたのがきっかけだ。友人の件とそれは少し違う内容だけど・・・。


彼女は、家族や友人の繋がりを大切にする人間で、またボランティアや自己啓発にも関心を持っている。そのため、いつも予定が詰まっている。ぴもーもよくいろいろなことに彼女を誘っているが、既に予定があるようで、よく断られる感があるのは否めない。彼女自身も人にそう思われていることを自覚している。また、多くのことにチャレンジしても結局どれも中途半端になっているだけではないかという不安も持ってるみたい。


その時は特に答えを求められたわけでもなかったし、とっさには何も言えなかったが、気になってしばらく考えていた。


まず思ったのはそれが彼女のいいところであるということ!ぴもー自身が彼女のことを大切な友人の一人と思えるし、少なくともぴもーよりは深く付き合える友人が多いように感じるから。彼女の生活は広く浅い・・と彼女自身は感じているようだが、友人関係では広く深いと思う。自分の知らない地平を知っている人間というものは興味深いものだよね★


しかしぴもーは、やはり専念するものがあったほうがいいと思う。自分のメインの居場所を明確にした方が、どこで頑張る必要があり、どこでなら少々手を抜いてもいいというメリハリがつくから。もちろん、中途半端になるということも危惧されるしね。ただ、中途半端ということを言い出すとじゃぁどこまでいけば中途半端じゃなくなるんだ?という疑問もおこる。現実的には、ある程度の妥協は必要でしょ。まぁとにかく、人は「自分はこういうところで頑張っている」という自信があったほうが、社会の中でうまく生きていけるような気がする。


それから(その時期で)メインの友人関係を作っておくのが大事だと思う。メイン・サブという風にカテゴライズするのはよくないかもしれないが、やはり離れている友人や、優先順位の低いフィールドでの友人はサブに入る。メインの友人関係てのは「○○がいなきゃ始まらないよ」みたいに思われるような環だね。そんなのをどこかに作っておくべきじゃないかな?あんまり説得力はないけど(^_^;)


ただし専念するものはある時間タームの中で変化してもいい。例えばこの数年はこれを頑張ってみようとか、この数ヶ月はこれを絶対にやらなければいけないとか☆


具体的には予定を入れる時に、自分がその時期に専念すべき優先順位が高いものから入れるということ。例えば一番優先すべきことを1ヶ月に8回ある土日の内、半分はそれに費やす。次に優先すべきことを2回に費やす。あとの2回はそのときどきにおこる人との付き合いに費やす。また、ある程度人付き合いの基準を作っておくのもいいかもしれない。例えば離れている友人には2年に1回の間隔で会い、家族の付き合いは3回に1回だけ参加するなどなど。


彼女のような人間なら、長いこと会わなくても関係が変わったりすることはないと思う。ただ、彼女の中で会わないことが冷たいことだと感じてしまうような気はするが・・・。そこが彼女の彼女たる所以かな。理屈で割り切れない、アナログ人間だもんね(笑)