こんちには!

今回はスポーツの過去についてお話していきたいと思います。

まず初めに古代スポーツについて

古代に入ると、各地で古代文明が発生し、各地で特色のあるスポーツ文化が生まれた。古代では、先史時代の宗教性や呪術性を色濃くとどめながら、スポーツが文化として独立していった。

古代エジプトのスポーツ編集

古代エジプトでは宮廷娯楽としてのショースポーツが楽しまれた。また、王侯貴族が優れた戦士になるための身体訓練の方法も開発されていた。 紀元前2100年ごろのベニ・ハッサンの壁画には400種類以上のレスリングが描かれており、このほか、重量挙げ、跳躍運動、弓矢による狩猟、ボールを伴った儀礼などが描かれている。[3]


ベニ・ハッサンの壁画に描かれたレスリングする人々

古代ギリシャのスポーツ編集

古代ギリシャでは、すでに広範囲にわたって、レスリング競走ボクシングやり投げ円盤投げ戦車競走など多くのスポーツが行われていた。

紀元前1700年から紀元前1400年ごろのクレタ島では戦車競技やレスリング、ボクシング、ダンス、雄牛跳び、狩猟などが行われていた。紀元前1600年ごろのミケーネでは戦車競技、弓射、やり投げ、乗馬、雄牛跳び、狩猟、球戯などが行われていた。また、英雄の死を悼む葬礼競技が行われた。これらの競技会が次第に整備されていき、後の祭典競技が生まれる一因となった。

紀元前8世紀には、ペロポネソスオリンピアで4年毎に競技会が開かれた(古代オリンピック)。このほかコリントイストミア競技会デルポイピュティア競技会ネメアネメア競技会という4大競技会をはじめ、ギリシャ各地で競技会が行われた。競技会は単にスポーツイベントというだけでなく、古代ギリシャ人の優越性を表現し、自らのアイデンティティを確認するものであった。

古代ローマのスポーツ編集

実用を重んじたローマ人は、伝統的にギリシャ風のスポーツ大会に価値を認めなかった。運動も元来は軍事訓練の目的として行われていた。しかし、時代が下るにつれ、健康維持やレクリエーションのためにスポーツ活動が行われるようになった。[4]

古代ローマにおいてはスペクテータースポーツが発達し、コロッセウム等の円形闘技場が建設された。支配者たちは、民衆に「パンとサーカス」として訳される「パネム・エト・キルケシセス」(穀物とキルクス競技)を提供して、政権を維持しようとした。民族的祭典であるキルクス競技では、特に戦車競走が活性


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/スポーツの歴史