ここは沖縄県読谷村伊良皆。
琉球王国時代の王様3名のお墓がこの場所にあります。
琉球王国第一尚氏
二代王 尚巴志
三代王 尚忠
四代王 志達
特に王国を開いた尚巴志がこんな目立たないこの場所にいるのはびっくりした。
なぜ首里からこんな遠い場所にあるのか⁈
時代は王の系統が血筋の違う第二尚氏に変わる時の事だと思うのですが、第一尚氏の王墓が焼き討ちに合うと察した家臣の〝平田しー〟と〝屋比久しー〟(子孫でもあったような?)がこの場所に骨を運んだそうです。
首里から遠いこの場所まで運んで守りたかった想いはこの木に現れているような気がします✨ガジュマルの気根がお墓の岩陰を守るように覆っていて神々しい。想いに守られてきたのでしょうね!
でも待って、忘れちゃいけないのが沖縄戦。この近くの海岸から米軍が上陸しました。今でも近隣は米軍基地があります。
この場所で残ってきたのは奇跡なのだ!と思います。
平田子と屋比久子の場所選びが的確だったということですよね✨何かあったとしても石灰岩の山は切り崩されないと思ったのでしょう!
王3名と家臣の守ろうとした想いがこの景観を作ってきたのかもしれません✨
比謝川に繋がるかどうかはわからないけど側には手付かずの小川があります。
王の骨を守るために隠すように持ってきた歴史があるのでそっとしているのでしょうね。どうかずっとそっとされますように✨
第二尚氏の一代目王尚円は金丸と呼ばれていた頃、第一尚氏の王らに仕え、クーデターで乗っ取ったらしい。
死んだ骨を更に焼き討ちしようとするなんて呪い的な事をする理由は、よっぽど第一尚氏を恐れていたのでしょうね🤔
その風習は独自のものなのか、近隣国の影響のものなのかも気になります。