どんどこ様とは

 

どんどこ様は高車市付近に古くから伝わる神様です。どんどこ様に気に入られた人間は「とこの実」と呼ばれるものを授かり、後継ぎに困らなくなると伝えられています。どんどこ様に捧げる儀式は昭和前期まで残っていたとされていますが、それ以外のことはほとんどわかっていません。どんどこ様に関する資料はあまりに少ないのです。

 

どんどこ様に関する資料が残っていない理由

 

どんどこ様に関する資料が残っていないのには、明確な理由があります。

 1つ目は、戦火で焼けてしまったこと。第二次世界大戦により、わずかなどんどこ様の資料がなくなっただけでなく、儀式の文化も途絶えてしまった可能性が高いと私は考えています。

 2つ目は、どんどこ様、およびそれを模したものを見ることは禁止されていることです。高車市に伝わる伝説には

「どんどこ様を軽々しく見てはいけない。どんどこ様を見ることは最も忌まわしき行為であり、それを模したものであっても同様である。故に我々は、どんどこ様を見ることも、どんどこ様を模したものを作ることも、どんどこ様を文字に記すことさえしてはならない。」

という旨があり、どんどこ様を見ることを禁止していることが分かります。この言い伝えのせいで、どんどこ様に関する資料は今に至るまでほとんど残っていません。なお、これらの伝説は口伝であるため、最初とは形が変わっている可能性が高いです。

 

 また、高車市の老人ホームで働いていた大場(偽名)さんは、高車市に昔から住んでいる高崎(偽名)さんから次のような話を聞いたそうです。(原文を標準語に直して掲載しています。)

「どんどこ様を描いた絵を持っている家はあったけど、だれも絵を見ることはなかった。絵が入った箱に向かって手を合わせていたの。私の父も『どんどこ様を見てはいけない』としつこく言ってました。でもあるとき、どんどこ様の絵を見てしまった子がいたの。確か中島君だったかしら。でも中島君は、どんどこ様の絵を見たあとすぐ家が火事になってしまって、東京の親戚の家に引っ越してしまったわ。」

 

今回新たにわかったこと

 

上記されているのが、これまでのどんどこ様にかんする資料です。しかし今回、高車市に祖父が住んでいたという、桑原さんに話を伺うことができました。桑原さんはこう語っています。

 

 祖父はどんどこ様を見ていけないとよく言っていました。どんどこ様をみると親の死に目に会えないぞ。とか、どんどこ様をみると家が焼けるぞ。など、罰の内容はバラバラでしたが、どんどこ様をみてはいけないというのは共通していました。あと、どんどこ様の絵が入った箱が実家の祭壇にあったんです。祖父が死んだときに一緒に燃やしたんですが、幼い時の私は一度だけ、どんどこ様の絵を見たんです。でも見た後に、罪悪感がすごくて、おじいちゃんに見たことを話したんです。そしたら「そうかそうか。実はな、おじいちゃんも小さいころみちゃったんだ。」と、すごく安心した目で言っていました。もしかしたら、秘密を私と共有できて、嬉しかったのかもしれません。そのあとおじいちゃんはすぐ他界しました。悲しかったけど、笑顔で死んでいました。

 

そして、どんどこ様の絵を描いてくれました。私は心温まると同時に、もうどんどこ様の研究をやめることにしました。これ以上、どんどこ様について知ってはいけない気がしたのと、情報がもう手に入らないと思ったからです。そのため、このブログでこの研究の区切りをつけます。関わっていただいたみなさま、ありがとうございました。どんどこ様の絵は下に載せておきます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※スクロールすると、どんどこ様の絵があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.S.この記事を書いたものの姉です。先日、弟がなくなりました。住んでいたアパートが火事になりました。このアカウントは実家でも使われていたため、ここに記しておきたいと思います。あと、弟のメモに「桑原さんのおじいちゃんの苗字は中島さん」と書かれていました。皆様の今後に役立てていただければと思います。