あの魔の3日目から一夜明けての翌朝。
次女は、一応起きあがったものの、布団の上で座って膝を抱えたまま、動こうとはしない。
そんな次女に何か言いかけようとする旦那を、私は目で制した。
『スクールバス🚌の事は考えなくていいよ〜。暫くはお母さんが一緒に送って行くから。着替えて、とりあえず校門🏫まで行ってみよう?』
次女は暫くそのままじっとしていたが、意を決した様に立ち上がり、支度を始めた。
2人でタクシー🚕で学校へ向かう。車中では、次女をリラックスさせようと、軽い話題ばかりを選び、笑い合ったりした
。が、いよいよ学校🏫が近づき始めると、次女の顔はみるみる蒼白
になっていく。体もカチンコチン
に固まっていく。。金縛り状態。。。
ガチガチの次女の腕や背中をさすりながら、
私は思わず、誰か除霊してくれる人を捜したい衝動に駆られた。。
金縛りの次女を乗せたタクシー🚕は、とうとう学校🏫の前に到着。
タクシー🚕を降り、足取りも重く、何とかとりあえず校門🏫の前まで行く。
次女の足取りが、ぴたっと止まる。動かない。
『ん?どうした?』私が声をかける。
『校門🏫まできた。』次女がぼそっと一言つぶやいた。
がっびーんしまった〜
私の中で、なんだかんだ門🏫までさえ連れてきてしまえば、校内に持ち込めるであろうという安易な大人の打算があったのだ。。。
確かに次女にしてみたら、校門🏫まで行ってみようと言われたのだから、もうこれでいいだろう。と考えるのも頷けるよな。。。
さて、どうしたものか。。このまま帰るか???
悩んだ私は、
『一応、校門🏫までは来れた事、先生に連絡するね。』と、担任の先生
に電話
を入れた。
『わかりました。お話がしたいので、何とか一階の事務局前まで来れますか?私が校門🏫まで迎えに行きましょうか
?』との事。次女に伝えると、頑に首を横に振る。
『ちょっと今は無理な様なので、しばらく話してみます。』と電話
を切り、次女と話す。。何を言っても、頑として動こうとはしない。
私は、色々説得を試みながらも、頭の中で、次女の小さい頃からの色々を振り返る。こうなると本当に無理だし、小手先のコントロールは全く受け付けない
。
物心つく頃には、子供騙しの類いは一切通じなかった。(これも後に、HSPの特徴である洞察性の高さから来るものだと知った
)
こりゃ、万事休すかな。。と半ばあきらめかけていた。。。
その日は4月なのに少し肌寒く、風の強い日
だった。
気づけば一時間近く、校門🏫の前で押し問答していて、すっかり体も冷え私は少しトイレ🚾に行きたくなってきたのだった。
そうだ!トイレ🚾だ!これにかこつけて、校内に引っ張り込もう!私天才か?
そこからは、もう、私の必死の懇願劇が始まった。
『だめだ、もう漏れる!!絶対に漏れる!!この歳になって、しかも子供の学校🏫の前でおしっこ漏らすとか、お母さん、立ち直れないよ。お願いします。トイレ🚾だけ入らせて下さい。
』←次女の性格上、登校中の大勢の生徒達の人目
がある中、1人慣れない校門🏫の前で待つ。と言うのは無理だ。と計算した上で。
次女はしばらく怪訝な顔をして見ていたが、『わかった』と言って、やっと一緒に校内へ入ってくれた。
(まあ、騙されてくれたというより、私のあまりの必死な演技に仕方なく乗ってあげよう。
という感じだろうな。次女は全てを見抜いてしまう
)
無事トイレ🚾を済ませると、待ちすぎてしびれを切らせた担任の先生から電話
が入った。校内にトイレ🚾を借りにきた事を告げると、『それなら保健室で少し話がしたいのですが。。
』との事。次女に伝えてみると、一旦校内に足を踏み入れた事で少し落ち着いたのか、意外とすんなり承諾してくれた。
保健室に行くと、フレンドリーな感じの養護教諭の女性
が迎えてくれた。
『最初はそりゃ緊張しちゃうよね〜』と、色々次女に話しかけてくれた。
次女は緊張しながらも、一つ一つ答えていた。
そうしているうち、担任&副担任
の先生方もやってきて、代わる代わる次女に話しかける。
2人とも三十代前半ぐらいの若い方達
で、変な威圧感も無く、誠実そうな印象。
特に担任の先生
は、いかにもお人好しそうな感じで、2人とも次女が苦手
とするタイプという訳では無さそうだった。
しばらくすると、学年主任の女性の先生もいらした。サバサバ
して、ちゃきちゃき
とした感じの、活発そうな
タイプの方で、
『次女さん、ちょっと一緒に2人で校内を散歩してこよう!
』と、爽やかに。でもきっぱり
と、次女を連れだした。
その間、私は先生方と色々、これまでの状況と次女の性格について話をした。
『今日は、この後、もし残れるならそのまま残って、教室が無理なら保健室か図書室で過ごしても良いし、本人が🏠帰りたいというなら、帰られて下さい。ゆっくりいきましょう
。毎日少しづつ、受けられる授業だけ受けたり、無理なら他の場所で過ごしたり。それで様子を見てみましょう。
』
学年主任の先生との散歩
から戻った次女は、もちろん帰宅🏠を選んだ。
そこは即断なのね。。。
この日から、私と次女の試行錯誤の日々がスタートした
2時間だけ。身体測定だけ。保健室だけ。図書館だけ。半日だけ。
朝の始業時間から登校できた日は無く、気が済むまで泣き終わる
まで。気が済むまでトイレ🚾に通い終わるまで。昼過ぎまで待ち続け、やっと家🏠から出られる。
送って🚕行き、次女が参加している間は、私は一階の事務局前に座って待ったり、周辺のカフェ
などで時間をつぶした。
家🏠に戻っても良かったのだが、長くて2時間。往復の時間と手間を考えたら、近くで待機の方が効率が良かったのだ。
もちろん、毎回、そのまま下校時間までいれるならそうしてね〜。とは声かけしていたが。。決まって2時間くらいたつと、担任の先生から『帰りたいそうです。』と連絡
が入った。
そんな日々を、3週間〜1ヶ月過ごしただろうか。。。
いくら次女に寄り添うんだ。とは決めていても、私もまだまだ未熟な人間なわけで。
イライラして怒ってしまう日もあった。
『わかるけどさ!でも、これは自分で乗り越えないと!
せっかく自分で受験選んで入学した学校🏫だよね?新しい環境が苦手なの知ってるけど、多かれ少なかれ誰だってそうだよ
そこは踏ん張るんだよ?こんなにも閉ざしてたら、これから先の将来どこいったって無理じゃん!
ちょっとは頑張ろうよ!
』
『頑張ってるんだよ。。。。でも無理なんだ。
』
2人で一緒に泣いた。😭
毎晩、寝る前になると、シクシク
泣き出したり、私に側で寝る様に言ってきて、べったりくっついて離れなかった。
そんな、普段の次女からは、とてもありえない様子から、ああ。次女は今、とてつもなく大きな不安
の中にいるんだなー
。と察する事が出来た。
(次女は、自分が安心安全だとリラックス
できる場所、人の中にいれば、クールで強い
。1人でいるのも大好き
誰かに甘えたりべったり一緒
に寝たり
など、言語道断
!うっとうしい
!というタイプで、超絶甘えん坊
の長女とは対照的な幼児期
だった。長女が熱望
してやまなかった子守唄
や添い寝
なども、『お母さん
、うるさくて眠れないから
。そろそろ離れて
?』とバッサリ
言い放つ、超ウルトラクール幼児
だった。。←母、つらっ
)
そんなある日、いつものように学校🏫で2時間ほど過ごした次女を迎えに行くと、次女がスクールカウンセラーだという、とても優しそうな女性と一緒に待っていた。
『お母さんをお待ちする間、少し次女ちゃんとおしゃべりさせて頂いてました。今度ゆっくり、お母様もお話させて下さいね
。』と言ってくれた。
お礼を言って、次女との帰り道、『どんな話したの〜?』と聞くと、
『小学生の時から学校🏫が苦手でキツかった事。自分から受験したけど、なかなか行けない事話した〜
。そしたら、小学生からずーっと苦手だったのに、今までよく頑張ってきたんだね〜
。偉かったね〜
って。凄いね〜
。って。
』と、嬉しそうに満面の笑みで教えてくれた
。『そっか、凄く頑張ってきたのか〜
次女は。』と言うと、
『そうだよ。頑張ってきたんだよ、次女は。こんなにも嫌いなのにこれまでよく10年も通ってきたよ
。』と、ドヤ顔
で私を見た。
その瞬間、私の中で何かがストンと腑に落ちた。
そっか、そうだよな。次女はずーっと嫌だって言ってきてたじゃないか。ずっと死んだ魚の様な目をして通ってたじゃないか。学校は行って当たり前。行かなきゃ行けないもの。そんなの誰が決めた?
私は次女の気持ちに寄り添うと言いながら、結局世の中の集合意識や同調圧力の方に寄り添ってるじゃないか。
もうやめよう。次女の気持ちだけを考えよう。
次女が安心して笑っていられる事。それ以上何を望むのだろう?
私はその日を境に一切の登校刺激をやめた。
それから徐々に次女の目に光と力が戻ってきた。