
よりこサンと言います。
沖縄に住む4人家族です

4人全員がHSP(Highly Sensitive Person)
各々が個性的な超感覚人間家族です✨
よりこサン47歳 旦那47歳 長女17歳 次女13歳
🐶1匹🐱5匹で暮らしています💓💓💓💓
今日からゆる〜くブログ始めていきたいと思います。よろしくお願いします

1年前の2月、私は何してたかな?
今の私、今の家族の想像は1ミリもできなかったなぁ。。。。







生まれ変わった。いや、逆だな。本来の自分を取り戻したのかも知れない。
きっかけは、13歳次女の不登校。
本人自ら希望して私立中学受験をした。
無事に合格し、本人も嬉しそうだった❤
が、入学式含め全日行けたのは3日のみだった

去年2019年4月の事である🌸
次女は、ずっと集団や学校が苦手。
特に自分のペースを乱されることを嫌う。
2歳~就学前まで行っていたインターナショナルスクールも毎朝ずっーーーと泣きながら、通い続けた。4年間、行きの車の中で次女の手におまじないのイラストを描き、なだめて連れていった
。

(スクールバス🚎も断固拒絶だったし😅)
地元の公立小学校に入学してからも、低学年の間は、行きしぶりつつ、私が付き添ってみたりして何とか通えた。

それでも、1人で家まで帰ってくるのを頑なに拒み、「迎えに来て😭」と言うので、毎日下校時間に合わせて、迎えに行った。

ある一定期間を置いて、迎えに行く待ち合わせ場所を少しずつ家に近づけて行くという作戦で、じわりじわりと、次女の帰宅を促した。

教室の前⇒下駄箱⇒校門⇒公園前⇒家の手前の坂道の途中⇒玄関前。
最終的には、次女の分も家の鍵🔑を作って、ランドセル🎒に付けた。「コレで自分で開けれるから、帰って来れる?お母さんは部屋の中で待っていてもいい?」と聞くと、鍵🔑を持ったのが嬉しかった様で、ニッコリと承諾してくれた。

↑↑↑コレが小3の中頃の事である。。。

一般的に、親がお迎えに行くなんて、1年生の最初ぐらい💦
周りからは、甘やかして。過保護過ぎる。と色々言われたが、小さい頃からの色んな引っかかり、次女の性格をよくわかっていたので、私は耳を貸さなかった。

次女は、絶対的な安心と安全の中でしか動かない。納得しない。という繊細&慎重&頑固な側面があり、時間はかかっても、そこをクリアできれば大丈夫という確信が私にはあった。
\_(・ω・`)ココ大事💓💓💓💓
例えて言うなら、🐿野生の小動物🐿みたいなものだよなー。と認識していた。(--;)💦
無理強いせず、少しずつ少しずつ信頼させていく。もどかしいが、結局はそれが1番の近道だと知っていた。ちょっとでも強引に踏み込むと、巣穴に隠れて見えなくなってしまう。(._."Ⅱ)
大丈夫❤安心していいよ❤信じていいよ❤
繰り返し繰り返し。

特に遠足やドッチボール大会など、活動的な学校行事は本当に嫌いで。しくしく泣きながら、行ったりしてたなぁ。どーーしてもダメな時は、休ませたりもした。

高学年になると、だいぶスムーズに通えるようにはなっていた。それでも、ため息をつきつつ、しんどそうに。ではあるが。

諦めなのか惰性なのか。。でも、次女なりに折り合いをつけているように見えた。
ただ、どんどん目に光と力が無くなっていくのが、頭のどこかで気にはなっていた。

6年生の夏休み前に、次女が私立受験をしてみてもいいなー。というニュアンスの事を言い始めた。

今まで、自分から積極的に何かをやってみよう!とかまず言い出すことは無かったので、内心では、物凄く驚いた
のだけど、野生の小動物🐿には刺激が強いので、平常心を装って
、淡々と理由を聞いてみた👂。


「新しいところに慣れるのに時間がかかるし、もし、公立の中学に進学したとして、3年後には、また高校受験して新しいところに行くことになる。それって、疲れてしまうし、嫌。
私立の中高で6年間あれば、何とか慣れるかもしれない。って思った。
」なるほど。一理あるかも



私の心のどこかに、個性的な次女は私立の方が合ってるのかもなぁ。という気持ちもあった。

そんな経緯で、大急ぎで受験の準備を始めた。元々成績は良かったので、推薦入試がいいかもな。と、担任の先生にも相談。

スムーズに進み、12月に筆記と親子面接を何とか乗り越え、合格通知を貰ったのだった〜



3月までに、制服の購入等、入学の為の色んな手続きを済ませた。もちろん、お金もビュンビュン💸出ていった。







だけど、あの次女が❗️あの野生の小動物🐿が❗️人生で初めて自分からチャレンジして頑張れた事が素直に誇らしかったし、何よりも本人がとても嬉しそうだったから、出費もむしろ嬉しいぐらいだった

そんなウキウキの春だった。💓💓💓💓
この後、大きな転換期が待っているとも知らずに。。。。
