あるアジア旅行記

あるアジア旅行記

アジアでの旅の体験や、アジア料理に関すること、その他を書いております

ピルグリムキッチンの旅する調理師の手記です
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インディラガンジー国際空港で出会った日本人、

東京の小学校で非常勤講師をしているというフミオ



空港からホテル、鉄道のチケット予約と

彼に助けられ、なんとか

ネパール国境に近いゴーラクプルまでの列車に乗り込んだのだが、




乗り込んだ列車が動き始めても

フミオの姿はなかった・・・



僕は寝台に横たわり思った・・・



「まあ、目的地は一緒だからまた会えるか」








と思っていたところ、



いやー、あぶなかった!・・・道が混んじゃって!



フミオは現れた・・・


金にモノを言わせ(50ルピー=約130円)

赤い服を着たポーターに大量の荷物を持たせ

息を切らしながらやってきた。




インド人の友達に駅まで送ってもらったらしいのだが、

渋滞に巻き込まれ、時間ギリギリになってしまったという。



僕は、ゴーラクプルで列車を降りてから

国境に向かうまでどうすればいいかと不安だったので

フミオの到着にホッとした。



しかし、相変わらずフミオの体からは・・・

肉の腐った匂いがした・・・。



こちらからは、何も言っていないのだが、

「シャワーを浴びる時間もなかったんですよー」

と言い、自分から肉の腐った匂いがすることに気づいていたようだった。


アジアを旅していれば、

人であろうと、何であろうと、

悪臭には慣れている為、

フミオから肉が腐ったような匂いがしても、

大して気にならなかった。



それにフミオは、当時僕と同じ28歳で、

身長は170センチを少し超えたくらい。

大して変わらないにも関わらず、

おそらく90キロは超えていた。

当時僕は、55キロくらいだったと思う。



それだけ太っていれば、

真夏のインドでちょっとシャワーを浴びなければ

体から、肉の腐った匂いはするのかもしれない。


前日は、ローカルエリアにあるホテルで、

緊張から眠ることができなかったが・・・



寝台列車は激しく揺れるし、

時間に関わらず、チャイ売りが大声で叫ぶ為、

やはりゆっくり眠ることはできなかった。


そして相変わらずフミオからは

肉の腐った匂いがしていた。




そして夜が開け、

13時間の列車の旅が終わり、

ゴーラクプルの駅におりた。




ゴーラクプルの街は、大きな街で

交通の要衝としてインド国内では有名らしいが、

観光地ではない。



駅前はインド人でごった返していたが

外国人らしき顔はなかった。



その時・・・


なぜか、フミオはイライラしていた。


僕と、話しているときはいいのだが・・・


ゴーラクプルの駅をおり

ネパールとの国境のスノウリまでの

バスチケットを手配する為に



飛び込んだ旅行代理店では、



インド人の事務員相手に

なぜか大声でけんかをふっかけた。




そして、ラグジュアリーバスだと代理店で言われた、

オンボロのローカルバスに乗せられ・・・

フミオはまたなぜかイライラし・・・


肉の腐ったような匂いを体から放っていた。


そして、国境のスノウリまで

約4時間かけて到着し、


ほったて小屋のようなインドのイミグレーションで

またパスポートを投げ返され、

僕は悲しくなり、フミオはイライラし

肉の腐ったような匂いを放っていた。


もしかしたら・・・

本当にフミオの体は腐り始めていたのかもしれない。

今では、そう思っている。


そして、国境を歩いて越え、


なんかの商店にしか見えないネパールのイミグレーションで


笑顔のサリーを着たおばちゃん(入国管理局職員)達に入国を歓迎され




ネパール人はなんて優しいんだ


そう素直に思ったのを覚えている。


ネパールへの旅行を考えている方は、

是非、インドから陸路で入国することをおすすめする。

人のあたたかさが身にしみてわかる。



だが、僕たちがチケットを買った時、

旅行代理店によれば、国境を越えた後も、

またラグジュアリーバスが待っているという話だったが、


そんなものは当然なかった・・・


この程度の話は、これからいくつかの旅をする中で、

当たり前のことだと知らされることになる。



陸路で長距離を乗り継ぐようなチケットを

旅行代理店で買ってはいけない



そして、いろんなことをあきらめ

ゆるし、受け容れていかなくては、

アジアで旅は続けられないと思い始めるようになった。





フミオは当然、

肉の腐ったような匂いを発しながら、

旅行代理店で怒鳴り倒したが、

まったくらちがあかず、

新たに、目的地のポカラまでの

タクシーを手配することとなった。



代理店の前に停まっているタクシーの後部座席で待っていると、

免許を持ってるのかどうかあやしい感じの

少年がやってきて、タクシーの運転席に座った。



そして、バックの仕方を代理店のオヤジに聞きながら

なんとか車道に出た。



「大丈夫ナノカ・・・?」

心の中でそう思ったが、

口に出すのはやめておいた。



そして何も言わずに、


タクシーは急発進した。




ヒマラヤ山脈を擁するネパールは、

そのほとんどが、山岳地帯だ。


僕とフミオは、

山道を高速で責め続けるタクシーに

命をゆだねるしかなかった。



そして、狭いハッチバックのタクシーの後部座席で

フミオは相変わらず、肉が腐ったような匂いを発していた。


おそらくその時点で、3日間はシャワーを浴びていなかったのだろう。


だがそれよりも、このタクシーの暴走が心配で、

フミオの肉が腐ったような匂いはあまり気にならなかった。




山道の暴走にも慣れてきて、まぶたが重くなってきた頃・・・


カーブの先の対向車線を大型タンクローリーが走ってきた・・・




眠気で意識が薄れていく中





この小さなタクシーの、右側のフロントが・・・





大量の排気ガスと・・・






大きなディーゼルのエンジン音を発する・・・







タンクローリーの右側面に・・・








接触した・・・











大きな音がした





そして・・・



フミオから肉の腐ったような匂いがした・・・




つづく




僕とフミオは、空港からタクシーに乗り、

朝4時にニューデリー駅前に着いた。


目の前の車道に出るとリキシャーをつかまえて、


メインバザールのどん詰まりにある安宿に

無理矢理チェックインした。


部屋をシェアすることになったフミオは

キレイとは言えないツインの部屋で

大量のバッグを開け始めた。



僕は、この肉が腐ったような匂いがする男のバッグから

いったい何が出てくるのだろうと、

正直、ドキドキしていた。



だが、僕の心配をよそに、

そのバッグから出てきたのは・・・


大量の日本語の教科書だった。


フミオは言った。

ネパールに友達がいるんですよ

レストランやってるんですけどね。

そこの息子が可愛くってですね。

時々行って、日本語教えてるんですよ





そうか・・・




なんか、変なものや、汚いなにかでも

出てくるのか・・・なんて思ってしまったのが申し訳ない。




考えてみればわかることだった・・・

日本から飛行機を乗り継いできて、

何度も荷物のチェックを受けているのに

バッグの中にヘンなものが入っているはずがない。




フミオは、ネパールの貧しい家族に、

多少の金銭的援助もし、

子供に日本語まで教えてあげているという

聖者のような男だった。



あくまでも、彼自身による話だが、

目の前にある山のような教材と、

子供達と楽しそうに遊ぶ光景を

ビデオカメラでみせられたら

疑う気持ちなんて生まれなかった・・・




僕の中の彼に対する不信感は消え去り、

しばらく、お互いの旅の体験や、

日本での生活の話を語り合った。



そんな流れから、


なぜか・・・



「手相を見れるんですよ。

どうですか?見てあげましょうか?」




と言われた。


もうだいぶ打ち解けていたので、

僕は、何のためらいもなく

右手を差し出した。



フミオは、その汗ばんだ手で

僕の手をマッサージするかのようにさすりはじめた・・・


そして

うーん、うふっ

と息を漏らしながら

30秒ほど僕の手をこねくり回した後、


いいとおもいますよ


と、とんでもなく薄っぺらいことを言った。




とりあえず、

そうですか。よかった

と言っておいたが、




再び僕は

この男ダイジョウブなのか?

と、また頭の中がモヤモヤし始めた。



だが、僕とフミオの目的地が同じ

ネパールのポカラという町であることで、

これから1、2日は行動を共にすることとなった。



前に、タイで出会った旅人から、

「インドでは、列車のチケットを手に入れるだけで一日かかる」

と聞いていたので、


フミオから

「昼になったら、一緒にチケット買いに行きます?」

と提案してもらったのに、断る理由なんてなかった。


翌日、僕とフミオは、

ニューデリー駅構内の

外国人専用予約窓口で


インド・ネパール国境に最も近い駅

ゴーラクプル行きのチケットを買いにいった。

購入することができたのは、

翌日の夜行寝台列車だった。



そしてフミオは、駅から帰ってくるなりこのローカルエリアの

どん詰まりにあるホテルをチェックアウトし、

空港に向かいにくるはずだった友達の家に

泊まる、と言ってさっさと行ってしまった。


その時フミオは、なぜか焦るように出て行った。


僕は、この完全アウェーのホテルに取り残され

翌日の、夜に出発する、列車の出発時刻まで

部屋の扉に鍵をかけて、じっとしていた。


夕食をとる為に、

一度だけホテルを出てみたが、

近くに外国人は誰一人としておらず、

たとえ何かされたとしても

missing listに入るかどうかもわからない。

そんな場所だった・・・。




その夜は、

ホテルのスタッフすら信用できず、

緊張で眠れぬ夜を明かすと、


夜行列車の出発する、夜7時までチェックアウトを延長し

逃げるようにしてニューデリー駅に向かった。



ニューデリー駅に着いてからも、

十数本あるホームのどこに、

自分の列車が到着するのかわからず

近くにいた、

制服のようなものを着たおじさんに

チケットを見せると、


「お前のチケットの列車はキャンセルになった。

今からオレのオフィスにくれば、新しい列車を手配してやる」

そう言われた。


だがそれは、すでにガイドブックで確認済みの

詐欺の常套手段だった。


知っている方もいると思うが、

タイ、バンコクのファランポーン駅でも

この詐欺はお決まりの手だった。


安宿であった旅人が、よくこの詐欺に捕まって

警察を巻き込んでもめているが

体力と時間とお金の無駄なので

もう少し警戒した方がいいのではないかと思う。



・・・そして、列車の出発する定刻の

夜7時から30分遅れ、

ゴーラクプル行きの夜行寝台列車は

出発を告げるアナウンスがあった。


僕の指定席である3段ベッドの一番上の

向かい側がフミオの席だったが、



彼の姿はなかった・・・



そして列車はフミオの席をあけたまま・・・



ニューデリー駅をゆっくりと出発した・・・





つづく


2007年の夏・・・


ネパールに向かうため

僕はインドの首都、デリーのインディラガンジー国際空港についた。


時刻は夜中の3時くらいだっただろうか。


夜中に一人でタクシーに乗ることは、自殺行為を意味すると

ガイドブックやそれまでに出会った旅人から聞いていた為、

空港内で夜を明かし、バスで市内へ出ようと思っていた。


その旅の半年前、

タイとラオスをまわった時に、

帰りの飛行機を待つために

バンコクのスワンナプーム国際空港で


12時間ほど待ったことがあった。



冷房こそ効きすぎていたが、

成田空港よりも遥かに近代的で

音楽を聴いて、本を読んで、

たまにレストランで食事をしていれば、

優雅な時間を楽しむことができた。




インドでもそうやって時間を過ごせばいい。


そう思っていた。



しかし、インディラガンジー国際空港は

ちょっと雰囲気が違った。


特に、汚い場所と言う訳ではないのだが、


彫りが深くなく、どちらかと言えば色白な

東南アジアのモンゴロイドの顔とは違い、


アーリアという、いわゆるインド人の眼光は鋭く、


パスポートチェックでは、


トイレに行き、入国カードを書くのに

多少手間取っていただけで、




「なんでこんなに遅いんだ」


「何をしていたんだ」



と責めるような口調で訊かれ、


パスポートは投げ返された。


出鼻をくじかれた気分だった。




そんな時に、偶然で出逢ったのが


日本から2週間の旅行に来たという男


フミオだった。


彼とは入国審査の行列で前後の関係になった。

手元に日本のパスポートを持っているのに気づき、

僕が声をかけた。


彼は、都内の小学校で非常勤講師をしていて、

休暇で旅行に来ているとのことだった。


インドには5、6回来ていて、

ヒンディー語が流暢だった。


さらに、パスポートを見せ合ったことにより、

僕と彼が同い年だったことがわかり

意気投合した。



彼の申し出により、

空港までインド人の友達が迎えにきてくれるので

ニューデリー駅前のメインバザールまで一緒に行くことになった。



彼は言わば、これぞアキバ系というようなルックスだった

太っていて、眼鏡をかけ、キャラクタープリントのTシャツ、

多くなリュックと、両手には持ちきれないほどの荷物




そして、肉が腐ったような匂いがした・・・。




彼のナビゲートにより、

空港での入国審査、税関通過、両替はスムーズに行えた。



しかし、迎えにきてくれるはずの友人は空港にまだおらず、

時間がかかりそうなので、結局タクシーを使うことにした。



一番心配していた空港からの移動だが、

フミオの流暢なヒンディー語のおかげで、

政府公認の手配票のあるタクシーに乗ることができ、

早朝の4時に、ニューデリー駅前に到着した。





早朝にもかかわらず

ニューデリー駅前はにぎわっていた。


列車を待っているのか

ホームレスなのかわからないが

駅の入り口は綺麗な格好とは言えない

インド人でごった返していた。


メインバザールはニューデリーの目と鼻の先に

入り口があるのだが、


フミオは金にものをいわせ(5ルピー=約15円)


リキシャーを呼び止め




いつも利用しているという安宿へ向かうこととなった。


メインバザールはすべての店が閉まっていて

路上生活者がそこら中に倒れていた。


もちろん牛もいた(笑)




それにアジア各国で注意されていることだが

日中は暑くてへばっている野良犬も

涼しくなった夜は活動が活発になり

そこら中をうろついていた。


狂犬病の致死率は100パーセントだ。


リキシャーで運ばれること5分、

僕たちはフミオ御用達の安宿に到着した。


メインバザールには、

日本人宿と呼ばれる、

日本からの旅行者が集まり

スタッフも日本語が話せるホテルが

いくつかあった。


僕は、そういうホテルに行くのだろうと思っていた。



だが、フミオに連れられて到着した宿は

路地のどん詰まりにあり、

旅行者が立ち入らないエリアにあった。


そこは、外国人旅行者が利用する

いわゆるゲストハウスではなかった。


地方から来たインド人だけが利用する

汚い宿だった・・・。



「なぜここなんだ・・・」



そう思ったが、

ここまで、せっかくフミオに連れてきてもらったので、

質問するのはやめた。




宿は当然閉まっており、


フミオは大声のヒンディー語で

スタッフを起こし

無理矢理チェックインした。


フミオは、

「ツインの部屋をシェアでいいですよね?」

と僕に訊いてきたので。


僕は、

「もちろん」

と答えた。


タイ・ラオス旅行で外国人、日本人問わずに部屋をシェアすることはよくあった。


だからルームシェアには慣れていた。




一階の奥の広い部屋が僕たちの部屋だった。

二つのベッドの間には2、3メートルあっただろうか、



フミオは両手一杯の荷物と、

パンパンに膨らんだ50リットルはありそうな

リュックサックをドサッと床におろした。


「あのバッグには、なにが入っているんだろう・・・」


そう思ったが、訊くのはやめておいた・・・




そして、相変わらずフミオからは、


肉が腐ったような匂いがしていた・・・



つづく


【タイ、バンコクのMERRY V ゲストハウスにて、
エイドリアン(FRA)、ディナ(SWE)とルームシェア】