畑の畦道を通って、金泉寺の裏門に着いた。
お寺の方が掃除されているのに礼をして、境内へ。
朱塗りの観音堂が目を引く。
三度目ともなると少しは落ち着いて、本堂と大師堂で納経し、観音堂にも手を合わせた。

納経所は少し離れたところにあり、愛想のよい女性がにこにこと御朱印を筆書きしてくださった。
納経を済ませ、山門を出たところで、自転車の若いお遍路さんと、地元の男性が話していた。
自転車の人は、霊山寺の納経所で会った人だった。
ご挨拶の会釈をして通り過ぎようとすると、男性に呼び止められた。
男性が先達さんなのかは普段着だったので分からないのだけど、
通りかかる歩きのお遍路さんのガイドのようなことをしているらしい。

「ひとりで回るのか」「どのルートで行く」「どこに泊まる」など矢継ぎ早に尋ねられて、
答えられる(というか、何を言われてるか分かった分)だけ答えた。
おじさんは私の地図にあれこれ書き込みをして、私と自転車さんにあれこれ説明してくれたのだけど、
あっちこっち向いて喋るので、口が見えないし、何を言ってるのか全然分からなかった。

午後3時半。
今から金泉寺に入る自転車さんとおじさんと別れて歩き出すと、おじさんも一緒についてきた。
うーん、どうも話が通じない。歩きながら口を読むのは無理。
でも、おじさんは四番の大日寺まで私と同行するつもりのようで。
しかも、いくら言っても私が聞こえないことをまったく分かっていないようで。
それでもずっと話しかけてくるので紙とペンを差し出しても、ずっと喋ってくる。

分からないのにずっと話しかけられ続けると、読み取ろうとするだけで神経使い果たしてしまう。
大日時までの数キロをこの状態で歩くと、メンタルぼろぼろになりそうなので、
「ひとりで歩きたいので、大丈夫ですから」と言っても、ずっとついて話しかけてくる。

もともと、今回は金泉寺で終わりにするつもりだった。
時間があったので大日寺まで…と思ったのだけど、
帰ろう。そう決めた。


きっと親切なおじさんなんだけど、
新米お遍路さんにあれこれ教えてくれてるんだと思うんだけど、
本当はいろいろお話ししながら歩きたいのだけど、ごめんなさい。
どれだけ頑張っても分からないのに、ずっと声だけで話しかけられ続けると、
物凄く疲れるし、ストレスになるし、心が荒むんだ。。。
四国に来て、お遍路して、気持ちの面で疲れて帰るのは嫌なんだ。。。
ごめんなさい。

途中、板野の駅でおじさんと別れる。
おじさんは、切符を買うとか電車の時間とかまで全部代わりにやってくれようとして、
電車に乗るまで付き添ってきそうな雰囲気だったけど、
私は聞こえないだけで、見ればわかるし切符も自分で買うし電車も乗れるから大丈夫だよ。

「障害者」だからって、自分では何一つできないわけじゃない。
なんでもかんでも助けて守ってもらわなきゃいけないわけじゃない。
自分でできることは自分でやるし、一人で行動したい時だってある。
助けてもらわなきゃいけない時はあるけれど、そうじゃない時は
普通の人と同じように、一人になりたい時もあるんだ。
助けてくれるのは、困ってる時や、助けを求めた時だけでいいから。

板野駅の待合室で白衣を脱いだ。
電車に乗って徳島駅へ。そこから高速バスで帰宅し、一度目の一日お遍路は終了した。


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