このブログを読んでくださっている方から最近よく「文楽ってどうなんですか?」と尋ねられる。日本の古典芸能として気になる人はなっているらしい。

まあ、一度観て好きになる人はなるだろうし、なんだかねぇ、よく分からない・・・という人もいるだろう。

何度目かの鑑賞で自分にとっての文楽の魅力がわかってきた。それは「語りのリズム」の心地よさだ。文字にするとカタカナになる擬音語がふんだんにあって耳に楽しい。三味線に乗って語られる義太夫の、江戸時代の言葉のすべてを理解することは難しいけれど(字幕はある)。人形と人形遣いの芸の素晴らしさは言うまでもない。

『祇園祭礼信仰記』で印象に残ったシーン、その1。東吉(=後の羽柴秀吉)と大膳(→将軍足利義輝を殺害し、その母を人質にして金閣寺に立て籠もっている)の手下との立ちまわり。スパリと敵の顔を刀で切っ裂くと(たしか、梨切りとか言っていた)、顔面血の色に染まった人形の薄い顔が目に飛び込んできた。その横では別の人形の首が吹っ飛ぶ。スピード感ある演出。

その2。大膳によって桜の木に縛り付けられた雪姫(=雪舟の孫)が、桜の花びらを足でかき集めてつま先を筆代わりにしてネズミを描くと、そのネズミが縄を食いちぎって雪姫を助けてくれるシーン。その昔祖父の雪舟が幼き頃、絵ばかり描いて僧侶の修行を怠ったので、お仕置として縄で縛られた際に自分の流した涙を絵の具代わりに床にネズミを描くと、絵から飛びだしたネズミが縄を食いちぎってくれたという話を思い出したというわけ。

世話物『桂川連理柵』は中年男性と十代の少女の心中と見られる事件が下敷きだという。現代の感覚をもってすればツッコミをいれたいところはあれど、父親ほどの年齢差のある男に想いを寄せる「お半」は女の部分に「幼さ」も見え隠れして蠱惑的だ。最後のシーンは義太夫と三味線の総勢10名で語られて圧巻! パチパチ。今宵も楽しかった・・・。