長兄とは
8歳離れてます…
☆
私が
小学校に上がる頃に
母親が家出をしたそうです。
一部
私の記憶にもありますが
ある日
家出していた母親が
木の影からこっそり
三人兄妹に向かって
手招きしてました。
私が戸惑っていると
長兄が
おまえ、行け!
…と、言い
私は
サンダルを履いて外に出ました…
そしてそのまま
母親に連れて行かれ
放浪生活がはじまりました。
病室で聞いた父親の話だと
次兄も後から
連れさられたそうです。
しばらく
放浪生活が続いた後
田舎の祖母と親戚が
母親と一緒に
頭を下げて
家に戻ったらしいのです…
その時から
長兄と父親は
二階の部屋で
私と次兄と母親は
下の部屋で
家庭内別居になったようです。
長兄は
父親と二階の部屋で
ご馳走を食べていて
私達は
下の部屋で
貧しい食事をしていました。
私が無邪気に
二階の部屋へ行こうとすると
母親に止められました。
そんな家庭内別居を
心配した親戚の説得や
家裁の決定で
父親はひとりで
家を出る事になったそうです。
長兄は
中学生の多感な時期に
両親の喧嘩を聞いていたそうで
8歳下の私とは
心に受けたキズが違うのだとか…
ちょうど反抗期でもあった長兄は
尋常じゃなく母を嫌い
まだ幼なかった私にも
母の面影を見て嫌うのでした…
両親が離婚する時に
長兄とは
8歳違いのS叔父様が
何かあったら相談しろよ!
俺が守ってやるからな!
…と、約束したそうで
長兄は
その言葉を支えに
生きていたそうです…
長兄は
父親にも可愛いがられ
叔父様にも守られて
心の支えはありました…
私は
父親の愛情も知らず
長兄にも拒絶され
支えになってくれる人は
誰もいませんでした…
親戚は
三人兄妹が
バラバラになるのは
可哀想だと
長兄だけを引取りたいと言う父親を
説得したそうです…
ですが結局
長兄は
私達弟妹に辛くあたり
母親の失敗も
私のせいにしたり
嫌な事は弟妹にやらせて
理不尽な命令ばかり…
いつも自分勝手でした…
長兄曰く…
家庭内別居の時に
おまえらとは別れたんだ!…と。
母親を憎み
自分の身体に
半分
母親の血が流れている事も
不快に感じ
母親と似ている私を嫌い
次兄も憎んだそうです…
私や次兄に
罪があるのでしょうか?
ただ
幼かっただけ…
…
そんな事も知らない
S叔父様や
後妻さんから
父の
通夜の会食の時に
これを機会に
兄妹仲良くしてね!
…と、言われましたが
長兄に言ってください。
…と、お願いしたら
S叔父様が
長兄と話してから
けこちゃん、ごめん!
…と、軽く頭を下げて言い
その次の日の告別式では
長兄家族は親戚一同と
仲良く歓談してるのに
私達家族と次兄家族は
手のひら返したみたいに
親戚一同に
無視されました。
その後
49日法要の時も
社交辞令の挨拶以外は
会話もなく接触もなく
さすがにカレも違和感を覚え
私のつらさがわかった様です。
父が生存中
病室で
私を懐かしがって
小さい頃
可愛いがってくれた事を話してくれた
J叔父様まで
私から離れていました…
長兄が
通夜で
何を話したのかはわかりませんが
S叔父様と長兄が
仲良しなのがわかりました。
S叔父様と長兄は
8歳違いでした…
親戚は
父親の死後
父を慕っていた
一番下の弟であるS叔父様を
中心としてました。
私は
一生懸命
誠実に生きてきたつもりだったので
父方の親戚に
急に
無視されるのが
理解できませんでした。
辛かった…
理由もわからず
辛かった…
両親の離婚から
ずっと辛い思いをしていて
やっとここ数年
自分の幸せを感じる事ができたのに
父親の死後
再び
辛い思いをするなんて…
これが
父親の遺したものなの?
そう思うと
さらに悲しみが深くなりました…
自分の父親の法事なのに
私宛てには
いっさいの連絡はなく
カレ宛てだったし
法事の度に
連絡先も記してあるのに
急な要件でも
次兄家族を通しての連絡だったし
私はいったい
何なの⁇
父が
病室で言った
一番下な子には
苦労させたんだ~
って
その子が私なのに
父の死後も
再びこんな辛い思いをさせるなんて
ひどすぎる…
私を待って
息を引き取った父の姿は
みんな知っているのに…
…
あまりにも辛かったので
私は
iPhoneに綴っていたメモを
百か日法要の朝
プリントアウトしていました。
納骨が済んで
父の墓所がわかったら
自分の口から
今までの思いをきちんと話して
終わりにしようと思ったのです。
プリントアウトは
泣いて話せなくなったら
渡すつもりで持っていきました。
百か日法要の会食が終わって
喪主の挨拶の後
長兄が
三卓のテーブルのうち
二つのテーブルに
深々と挨拶をした後
次兄家族と私の家族がいるテーブルを
素通りして行ったので
さすがに次兄が激怒して
呼び止めましたが
やはり長兄に無視されました。
次兄の息子が長兄を追いかけて
兄弟仲良くしてください!
と、お願いしたら
…それは、君たちだけでいい!
と、言い放ったそうです。
私は
後妻さんに挨拶していた時だったので
気づかなかったのですが
振り返ったら不穏な空気で
親戚に止められている次兄が立っていました。
私も次兄を制して
長兄を呼び止めました。
振り返ってくれたので
私から挨拶をしましたが
話しの途中で
何も言わずに去られてしまい
あまりの出来事に
涙が止まらず
叔父様達に訴えました。
そして
プリントアウトしたメモを
S叔父様に渡して
お別れの挨拶をしました。
私からの
メモのような手紙を読んだ叔父様が
きっと長兄に何かを言ったのでしょう
百か日法要の2、3日後に
長兄からカレの携帯に
連絡がきました。
※ 覚え書きのようなブログ
みっともないブログ
いいの
私が少し
楽になるから…
iPhoneからの投稿
8歳離れてます…
☆
私が
小学校に上がる頃に
母親が家出をしたそうです。
一部
私の記憶にもありますが
ある日
家出していた母親が
木の影からこっそり
三人兄妹に向かって
手招きしてました。
私が戸惑っていると
長兄が
おまえ、行け!
…と、言い
私は
サンダルを履いて外に出ました…
そしてそのまま
母親に連れて行かれ
放浪生活がはじまりました。
病室で聞いた父親の話だと
次兄も後から
連れさられたそうです。
しばらく
放浪生活が続いた後
田舎の祖母と親戚が
母親と一緒に
頭を下げて
家に戻ったらしいのです…
その時から
長兄と父親は
二階の部屋で
私と次兄と母親は
下の部屋で
家庭内別居になったようです。
長兄は
父親と二階の部屋で
ご馳走を食べていて
私達は
下の部屋で
貧しい食事をしていました。
私が無邪気に
二階の部屋へ行こうとすると
母親に止められました。
そんな家庭内別居を
心配した親戚の説得や
家裁の決定で
父親はひとりで
家を出る事になったそうです。
長兄は
中学生の多感な時期に
両親の喧嘩を聞いていたそうで
8歳下の私とは
心に受けたキズが違うのだとか…
ちょうど反抗期でもあった長兄は
尋常じゃなく母を嫌い
まだ幼なかった私にも
母の面影を見て嫌うのでした…
両親が離婚する時に
長兄とは
8歳違いのS叔父様が
何かあったら相談しろよ!
俺が守ってやるからな!
…と、約束したそうで
長兄は
その言葉を支えに
生きていたそうです…
長兄は
父親にも可愛いがられ
叔父様にも守られて
心の支えはありました…
私は
父親の愛情も知らず
長兄にも拒絶され
支えになってくれる人は
誰もいませんでした…
親戚は
三人兄妹が
バラバラになるのは
可哀想だと
長兄だけを引取りたいと言う父親を
説得したそうです…
ですが結局
長兄は
私達弟妹に辛くあたり
母親の失敗も
私のせいにしたり
嫌な事は弟妹にやらせて
理不尽な命令ばかり…
いつも自分勝手でした…
長兄曰く…
家庭内別居の時に
おまえらとは別れたんだ!…と。
母親を憎み
自分の身体に
半分
母親の血が流れている事も
不快に感じ
母親と似ている私を嫌い
次兄も憎んだそうです…
私や次兄に
罪があるのでしょうか?
ただ
幼かっただけ…
…
そんな事も知らない
S叔父様や
後妻さんから
父の
通夜の会食の時に
これを機会に
兄妹仲良くしてね!
…と、言われましたが
長兄に言ってください。
…と、お願いしたら
S叔父様が
長兄と話してから
けこちゃん、ごめん!
…と、軽く頭を下げて言い
その次の日の告別式では
長兄家族は親戚一同と
仲良く歓談してるのに
私達家族と次兄家族は
手のひら返したみたいに
親戚一同に
無視されました。
その後
49日法要の時も
社交辞令の挨拶以外は
会話もなく接触もなく
さすがにカレも違和感を覚え
私のつらさがわかった様です。
父が生存中
病室で
私を懐かしがって
小さい頃
可愛いがってくれた事を話してくれた
J叔父様まで
私から離れていました…
長兄が
通夜で
何を話したのかはわかりませんが
S叔父様と長兄が
仲良しなのがわかりました。
S叔父様と長兄は
8歳違いでした…
親戚は
父親の死後
父を慕っていた
一番下の弟であるS叔父様を
中心としてました。
私は
一生懸命
誠実に生きてきたつもりだったので
父方の親戚に
急に
無視されるのが
理解できませんでした。
辛かった…
理由もわからず
辛かった…
両親の離婚から
ずっと辛い思いをしていて
やっとここ数年
自分の幸せを感じる事ができたのに
父親の死後
再び
辛い思いをするなんて…
これが
父親の遺したものなの?
そう思うと
さらに悲しみが深くなりました…
自分の父親の法事なのに
私宛てには
いっさいの連絡はなく
カレ宛てだったし
法事の度に
連絡先も記してあるのに
急な要件でも
次兄家族を通しての連絡だったし
私はいったい
何なの⁇
父が
病室で言った
一番下な子には
苦労させたんだ~
って
その子が私なのに
父の死後も
再びこんな辛い思いをさせるなんて
ひどすぎる…
私を待って
息を引き取った父の姿は
みんな知っているのに…
…
あまりにも辛かったので
私は
iPhoneに綴っていたメモを
百か日法要の朝
プリントアウトしていました。
納骨が済んで
父の墓所がわかったら
自分の口から
今までの思いをきちんと話して
終わりにしようと思ったのです。
プリントアウトは
泣いて話せなくなったら
渡すつもりで持っていきました。
百か日法要の会食が終わって
喪主の挨拶の後
長兄が
三卓のテーブルのうち
二つのテーブルに
深々と挨拶をした後
次兄家族と私の家族がいるテーブルを
素通りして行ったので
さすがに次兄が激怒して
呼び止めましたが
やはり長兄に無視されました。
次兄の息子が長兄を追いかけて
兄弟仲良くしてください!
と、お願いしたら
…それは、君たちだけでいい!
と、言い放ったそうです。
私は
後妻さんに挨拶していた時だったので
気づかなかったのですが
振り返ったら不穏な空気で
親戚に止められている次兄が立っていました。
私も次兄を制して
長兄を呼び止めました。
振り返ってくれたので
私から挨拶をしましたが
話しの途中で
何も言わずに去られてしまい
あまりの出来事に
涙が止まらず
叔父様達に訴えました。
そして
プリントアウトしたメモを
S叔父様に渡して
お別れの挨拶をしました。
私からの
メモのような手紙を読んだ叔父様が
きっと長兄に何かを言ったのでしょう
百か日法要の2、3日後に
長兄からカレの携帯に
連絡がきました。
※ 覚え書きのようなブログ
みっともないブログ
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私が少し
楽になるから…
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