父は少し離れたところで椅子に座って天音が作業するのをジッと見ていた。
天音が父について調律に行くようになったのは中学生のころ。
学校が長い休みになると東京や大阪にも連れて行ってもらった。
とにかく名人と言われていた父には有名ピアニストやコンサートやコンクール主催者からのオファーがかなりあった。
農業と兼業で何とか頑張ってやっていた。
調律を手取り足取り教わったわけではなく近くで見ていてそのうち覚えてしまった。
普段から耳が敏感でまだ晴れているのに、これから雷雨になることを言い当てたり、台所で父が野菜を切っている音でその鮮度もわかった。
手先も器用でビニールハウスの壊れたところを直したり日常で使う細々としたものも手作りしたり直したりも得意だった。
ひとりで東京で調律の仕事をする、と聞いたときはさすがに心配で初音に頼んで母親に連絡してもらった。
母親のことを打ち明けた時にそこを責められはしたものの。
田舎から出てきた何の資格もない18歳の少年がそれで生きていかれるほど甘い世界ではない。
そもそも調律だけで食べていくことはもう不可能に近い。
音楽関係の会社に入ってそういう部署に所属するのが手っ取り早いが天音はフリーで高野から仕事をもらう道を選んだ。
勉強が得意ではなく他の仕事をしなくてはならないことを嫌がった。
普段は色々なバイトをやってなんとか暮らして、時折調律の仕事をもらう。
危なっかしいながらも頑張って東京で8年暮らした。
大変だっただろうけれど。
一度も金の無心をされたことがなかった。
ジッと見ていた父は何だかこみあげるものがありそっと指で目の端を拭った。
息子を万感の表情で見つめる元夫の姿を
元妻がさらに離れたところから見つめていた。
「よっしゃ。できた、」
天音は満足そうに笑顔で頷いた。
父がそっと近づいて、鍵盤をポーンと叩いた。
微妙な音を聴き分けることはもう難しくなったが、響きはわかる。
「うん。 真っすぐや。 これならコンテスタントたちもいいピアノ弾けるやろ。」
父も満足そうに頷いた。
「・・頑張ったんやな。 おまえも。」
そう言われてちょっと照れ臭くなって笑顔を堪えるように頷いた。
その後、サブのピアノ2台も無難に調律を終えた。
「ちょっと時間かかったなーーー、」
思わずひとり言を言って時計を見た。
「ご苦労様。 一人でやったんですもの、時間はかかるでしょう、」
母がペットボトルのお茶を差し出した。
「あ、・・ども。」
それを遠慮がちに受け取った。
天音が東京で8年間頑張ってきた証を父は目の当たりにして万感の思いに浸ります・・
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