「・・お母さん。 お兄ちゃんが命なの、」
明日実は加治木の横に立って、指一本で『トロイメライ』を弾きはじめた。
「絶対にお兄ちゃんを死なせないって。 それだけ考えてる。 ・・お父さんは仕事が忙しくてほとんど家にいなかった。小さい頃あたしはずっとおばあちゃんの家に預けられてて・・」
途切れ途切れの『トロイメライ』が少しずつ加治木の胸に沁みてくる。
「・・お兄ちゃんと型が一致したってわかった時。 お母さん泣いて喜んでた。 ・・初めてあたし・・お母さんにぎゅうって抱きしめられた。」
人の気持ちを思いやることが難しかった加治木にとって
この明日実の告白の意味の深いところまですぐに理解できなかったが
不思議に彼女の悲しみだけは伝わってきた。
「それから。 おばあちゃんの家に・・毎日のように電話があって。 『風邪を引いたらダメよ』『怪我するといけないからスポーツをしちゃダメよ』って。だから・・ピアノを続けることは許してくれた。 ピアノなら一生懸命やっていいって・・言われてたから。」
明日実は横の彼に向かってふっと笑った。
「まだ子供だったから。 お母さんがあたしのことをとても心配してくれるのが嬉しかったんだと思う。 ただただ嬉しかった。お母さんが喜んでくれるなら・・何でも言うこときかなきゃって。お母さんに心配かけちゃいけないって・・」
彼女の弾く『トロイメライ』の主旋律に加治木はそっと伴奏を合わせた。
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『学校で進路についての面談があるんだけど、』
中学3年生になって母に言うと
『あなたが安全に通える学校ならどこでもいいのよ。 おばあちゃんに行ってもらいなさい、』
母は顔も見ないで病院に行く支度をしていた。
『・・わかった、』
いつもいつも自分が見るのは母の背中。
その時初めて自分が何のために、誰のために生きているのか。
ただただ呆然と考えるようになった。
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「友達がお母さんとケンカしちゃった、なんて話を聞くと本当に羨ましくて。 ウチにはケンカするほどの母との時間もなかったし・・自分と向き合ってくれることもなかったので。 友達はたくさんいましたけど・・ いつもなんだか一人ぼっちだなって。」
明日実は静かな微笑みを湛えてそう言った。
明日実と母親の関係は悲しいものでした・・
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