2011年3月11日僕は東京吉本でお笑い活動をしながら、浅草で人力車のアルバイトをしていました浅草の人力車は、雷門の前を歩いてる人に声をかけて乗って頂くのですが、その時も雷門の前でカップルに声をかけていましたするとカップルの彼氏が「今揺れませんでした?」と言ってきたので「またまた!そんな事言わないで乗って下さいよ!」と言った瞬間、突然あり得ないぐらいの大きな揺れに襲われました完成間近のスカイツリー、スカイツリーの最上にある工事用のクレーン、アサヒビールの本社ビル、本社ビルで窓拭きをしているクレーンなど、目に見える全ての建物が、ビルってこんなに揺れるの?って感じでずっと左右にグワングワン揺れてました「この世の終わりが来たか…」ノストラダムスの大予言などで想像していた、地球最期の日が突然やってきたと思いましたどこにも逃げ場はない僕も、周りの人達も、どうしたらいいかわからず、立ち尽くすだけうずくまって泣いている人もたくさんいましたしばらくしたら揺れがおさまり、どうしたらいいかわからず立ち尽くしていたら、人力車乗り場から電話がありましたさすがに今日の仕事は終わりか…と思っていたら「お客様ご案内して」と言われましたこのタイミングで!?(笑)そんな事ある!?(笑)お客さんは沖縄からの修学旅行の女子高生達でした揺れる前に乗るという話になってたみたいで、若い子には地震なんて関係ない人力車も、お客様が求めるなら台風の日でも営業するタフさなので、揺れたすぐ後に人力車でご案内という事になりました女子高生は「凄い揺れたね~♪」と楽しそうにしてるけど、僕は「凄かったですね~♪」と余裕かましてるフリをしながら「また地震来たらどうしよう」と内心ビビりまくりでした10分のコースのご案内が終わり、浅草寺の近くにお客様を人力車から降ろした瞬間、また大きな地震が来ましたしばらくしたら揺れがおさまり、女子高生達に「気をつけて楽しんでね~」とお別れしました いつまで続くんや?もっと大きな揺れが来たらどうしよ…もうこれは人力車どころじゃないな…と、思ってはいたけど、営業は続行されました仕事だからというのはあったのですが、人力車で働いている誰1人として状況が掴めてなかったんです地震後は、バスや電車がストップして、観光客が浅草に閉じ込められる形になりましたたくさんの人が立ち往生していました台風が来ようが、浅草に観光客がいる限り人力車に乗って頂き、浅草を楽しく案内して良い想い出を作って頂こうというのが人力車のスタイルどうせ浅草から動けないのであれば、どうせなら楽しんで貰おうと、そういった方達に声をかける事にしましたこんな状況でも「どうせ動けないなら」と人力車に乗ってくれる人も実際にいて、バスとかが乗れないから、タクシーがわりに遊び心で人力車で移動してくれる人もいたんです  そして僕も立ち往生してる人に「人力車いかがですか?」と声をかけたら「福島の家が心配なんで、大丈夫です」と言われたので「そうですか…ただ、どうせ動けないなら観光を楽しんだ方がいいですよ。こういう時に乗った方が想い出に残りますよ」と食らいつく実際、そうなんですよ…普通の状況であれば…「そうですよね…でも、大丈夫です…ありがとうございます…」と断られて「わかりました!またお願い致します!」と別れました僕も、人力車の人達もこの時、あんな酷い揺れだったから東京が震源地だと思いこんでいました「福島の家が心配」という意味もよくわかっていなくて、自分達の無事を報告する為に福島の実家に電話してるけど、みんなが電話してて電波状況が悪いから繋がらないその程度の感じだと思ってしまっていたんですこの時は誰も状況を掴めていなかったんです…夕方になって、人力車はいつも通り営業が終わったのですが、電車がまだストップしていて、僕らも浅草から出れなかったので、浅草に住んでる人力車仲間のマンションに泊めて頂く事にしましたみんなで浅草に泊まる事なんて滅多にないから、せっかくだから浅草の銭湯にみんなで行こうという事になりました「たまにはこんなのもいいね」と、ワクワクして銭湯に行ったのですが銭湯にあった、テレビで流れているニュースを見た瞬間… 皆んな我が目を疑いました…津波に流されている家…車…一瞬映画かとも思いましたが、それは間違いなく現実でした…その時に初めて、声をかけた方が福島の家を心配していたという意味と、とんでもなく不謹慎な事をしてしまっていた自分に気付きました…罪悪感と、何度も続く余震の恐怖で眠れず、朝を迎えました事態を重くみた人力車の会社は、次の日から人力車を自粛する事になりました急に職を失って、大阪の実家に帰って短期のアルバイトをしたりしましたしばらくしたら人力車のアルバイトを復活する事になりましたただ、復活したのはいいけど、人が少ない人がいないので、仲見世商店街も開いている店がほとんどありませんでしたしかし、開けてくれているお店もあったので、どうして人が少ないのにお店を開けているのか、お店の人に聞いてみたら「確かに今は人は少ないけど、もし被災地の人達が心の疲れを癒す為に浅草に遊びに来て、浅草まで静かだったらそれこそ元気がなくなっちゃうだろ?だからそういう人がいつ来てもいいようにお店を開けてるんだ」と言われました他のお店の人に聞いても、営業を続けている人力車の社員さんに聞いても同じ答えが返ってきました何て気持ちのいい考え方をする人達だろうと思いました浅草で人力車をやってて良かったと思いましたただ、人力車の営業を続けるも、やはり人が少なくて厳しかったです声をかけても乗ってくれづらくなったし、何より、福島の人との事がトラウマになって、歩いている人に声をかけれなくなっていましたもちろん悪い事をやってるわけじゃないし、遊びじゃなくて仕事でやってるんですしかし「こんな時に不謹慎じゃないか?また傷つけるんじゃないか?」いう考えは常に付きまといましたこんな時、お笑いや人力車などの娯楽は無力だなと思いました正直必要不可欠な物じゃないし、こういう時は不謹慎な物になってしまうんですしかし、僕らはこれでご飯を食べています活動しなければ生活出来なくなって死んでしまうんです何か、堂々と胸を張って活動出来る方法はないものかと、色々考えましたそこで思い付いたのが、人力車の売上の一部を被災地に寄付するというやり方でした被災地にも少なからず貢献出来るし、人力車のイメージも良くなって活動しやすい少なからず人の為になるなら負い目もなくなるこれはかなりいいアイデアだと、人力車の社員さんに提案してみると「気持ちは解るけど、うちはそんな売名行為はしたくないんや心配せんでもうちの会社でちゃんとした義援金を送ってるからお前は安心して、乗りにきた人を幸せにしてやってくれ」と言われましたそれを聞いて、いい会社で働かせて貰ってるなと思ったのと、1番無力なのはお笑いや人力車ではなく、僕自身なんだなという事を痛感しましたそんなに被災地の事が気になるなら自分で募金すればいいんです間違いなく邪魔になるやろうけど、被災地にボランティアしに行ったらいいんです募金するお金もなく(多少はしましたが)、それどころか自分の食べて行く分も厳しい、人力車の営業にも自信がなくなった僕は、少しでも自分が楽になりたいから、後ろ指さされない理由を探していただけなんです僕のそんな悩みなんて関係なく、時間は容赦無く過ぎていき、浅草にも少しずつ人が増えて活気が戻ってきました僕もなんとかお客さんに乗って頂けるようになってきて、たまたま人力車に乗ってくれた方が福島から来たとおっしゃったので、びっくりして「お家は大丈夫なんですか?」と聞いたら「実は家が津波で流されちゃってね…でも、いつまでも塞ぎ込んでちゃ駄目だと思って、今日は浅草に気分転換に来たんだ」と言われました仲見世のお店の人の言葉を思い出しました僕は楽しんで貰う為に、ただただ全力で、一生懸命案内しましたすると「お陰で嫌な事全部忘れて楽しめたよ!ありがとう!」と言って頂きましたその言葉に、逆に僕が救われましたこの年に吉本の企画で、住みます芸人として山梨県で活動していく事になりました震災の4年後、山梨のイベントでMCをしていると、客席の一番前で一生懸命ガヤを飛ばしてくるおじさんがいましたいい感じに酔っ払ってらっしゃるのかなと思っていたら、イベント終わりにそのおじさんが僕に話しかけてきました「僕は震災の後に福島県からこっちに来てて、君達も同じ時期にこっちに来てるから、勝手に同期だと思ってるんだ。あんたらが頑張ってるのを見て、俺も元気出たよ!ありがとう!」と言ってくれましたそして、帰り際に大きな声で「負けねえぞ!」と言って帰っていきましたその言葉にまた元気を貰ったのを今も覚えていますこの時期が来ると、この出来事と、その時の気持ちを忘れない為に毎回ブログを書くようにしていますこれからも皆さんが健康で元気で生きていてくれる事を願っています