2023年5月4日(木)
いよいよ2023年も5月に突入しました!
占いで売れるはずの50歳に突入してはや2ヶ月!
売れる気配無くて草!
何も成し遂げる事なく50年過ごしてしまいましたっぴ!
アイカランバ!
ダイエットと部屋の掃除は順調だっぴ!
溜まった週刊少年ジャンプを捨てる為に縛ってまとめてたのに、ゴミ出しの時に寝てしまいましたっぴ(;_;)
捨てる前にもう一回、落語漫画の「あかね噺」を読み直しました。
とても勉強になる漫画ですっぴ(;_;)
今モチベーション落ちてて、ちょっとお笑い関連の番組とかを観るのしんどいんですけど、漫画だと観れる不思議…(;_;)
第1話の内容が、あかねのお父さんの、落語家の志ん太が真打昇段試験で(あかねはこの時はまだ小学生)、審査員の阿良川一生に破門宣告されて落語家をクビになって、あかねは自分が落語家になる事を決意して、月日が流れて高校生になる所から始まるんですけど、阿良川一生って、志ん太の師匠じゃないのにクビに出来るんですね(;_;)
志ん太の師匠は、阿良川志ぐまで、一生はその兄弟子なだけなんですよね。
自分の弟子じゃないのにクビにするって横暴じゃね?(;_;)
そんな権限あるもんなん?
落語のルールわからん(;_;)
んで、志ぐまは何でそれを止めてあげへんかったん?
一生って、志ぐまの師匠ならともかく、兄弟子でしょ?
兄弟子と弟弟子ってそんなに権力の差があるもんなん?(;_;)
落語のルールわからん(;_;)
んで、弟子クビにされたらもう落語続けられへんって落語界厳し過ぎひん?(;_;)
そういうもんなん?(;_;)
第一話でめちゃくちゃ横暴に見えた一生なんですけど、あかねが成長して落語家になって、一生と対談する機会が出来た時に、何で自分の父をクビにしたか一生に聞くと、単純に実力不足だったと伝えられます。
そしてあかねが
「確かに出だしの枕(落語の本ネタの前のトーク)は緊張して固かったけど、最後ウケたし、皆んな応援してくれてた」
と伝えたら、一生に
「心からそう言えるか?」
と言われてあかねがギクリとするんです。
さらに一生は
「客に応援されるのが真打の芸か?
聞き手に固さを気取られ、同情され、あまつさえ応援されるのが、芸を極めし者の高座か?
落語に限らず、音楽や他の芸能にも言える事だが、芸の後に応援がついて来るのであり、応援が芸に先立つのは未熟さの証拠。
そんな未熟者はうちにはいらない」
と言われて、あかねはぐうの根も出なくなるんです。
あかねも、落語家として本格的に修行して、色々経験して、一生の言ってる事に納得してしまったんです。
おそらく、それがわかってたから志ん太も破門を受け入れたし、志ぐまも納得するしかなかったんです。
そういう落語の大変さ、芸を極める事の大変さがよくわかるエピソードです。
でも…
一生よ、心が狭すぎんか?(;_;)
志ん太は他の人の弟子やぞ?
真打にしないのはわかる。
でも、貴様の独断と偏見で他の人の弟子を勝手に破門にするのは、人としてどうかと思うぞ?
そして…
芸の前に応援が来てもいいやないか…(;_;)
芸が完成してからじゃないと応援して貰えないんやったら、僕みたいな奴はどうなるの(;_;)
それは言いっこなしよ、一生ちゃん(;_;)
「頑張れ〜」
と言う気持ちで笑って頂けるのなら、それはそれで素敵な世界じゃない?(;_;)
そんなひねくれた事言ってたら、友達無くすよ?(;_;)
今回の件は聞かなかった事にしてあげるから、俺の前で2度とそんな事言うなよ!
まぁ、考え方が全く違うけど、お互い頑張ろうな!
ふにゅ〜(;_;)