【memo】 イアンフ捏造年表  改訂版2.5(2008/9/19) | やまとはまほろば

【memo】 イアンフ捏造年表  改訂版2.5(2008/9/19)

366 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2010/04/25(日) 08:12:06 ID:Tfn4c1dJ
イアンフ捏造年表  改訂版2.5(2008/9/19)

 ・1970年8月14日、ソウル新聞が「挺身隊に動員された韓・日の女性はおよそ20万。そのうち韓国の女性は、5~7万名」と報道
   ↓                              ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ・1973年、大連生まれの元毎日新聞記者 「千田夏光」 が「ジューグンイアンフ」という言葉を創造、「従軍慰安婦」を出版
  「『挺身隊』として動員された朝鮮人女性20万人のうち、5~7万人が『イアンフ』にさせられた」と捏造
   ↓               ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ・1983年、「吉田清治」 が自著「私の戦争犯罪」にて「済州島でイアンフ狩りをした」と記載
   ↓
 ・1989年、「私の戦争犯罪」ハングル版出版、と同時に 「青柳敦子」 が韓国で訴訟費用は負担しますとビラ配り
  驚いた済州島で地元紙「済州新聞」が綿密な取材を敢行、8月14日に『「私の戦争犯罪」は捏造』と報道
   ↓
 ・梨花女子大学英文科教授 「尹貞玉」 が「挺身隊問題」を日本のサヨクと結託研究、
  1990年、ハンギョレ新聞に挺身隊とイアンフを混同させたルポを春から連載
  8月、「ウリは『挺身隊』だったニダ」と 「金学順」 登場
  (ここで韓国による挺身隊とイアンフの混同が確定、「朝鮮人イアンフ20万人キョ-セーレンコー」の元ネタとなる)
   ↓  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ・1991年8月11日、突如 「アサヒシンブン」 が、「元イアンフに聞き取り調査開始」と報道(いわゆる「イアンフ捏造キャンペーン」開始)
  記者は「韓国太平洋戦争犠牲者遺族会」理事の娘と結婚していた 「植村隆」
   「NHK」 が終戦記念日企画としてイアンフ捏造番組を放送 (2006年11月4日、池田信夫氏が捏造番組だったとブログで告白)
   「青柳敦子」 と 「福島瑞穂」 が連れてきた「元イアンフ」は 「金学順」 (東京地裁に提訴、訴状には「親に売られた」と記述)
   ↓                                                        ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ・1992年1月11日、 「アサヒシンブン」 が「慰安所 軍関与示す資料」と、 「吉見義明」 の記事を報道。
  (内容はというと、軍と警察が違法業者を取り締まるという内容だった)
  1月16日 「宮沢喜一」 訪韓、何の検証もなしにいきなり謝罪
  1月23日、またしても 「アサヒシンブン」 が、夕刊コラムで 「吉田清治」 の「私の戦争犯罪」を紹介
  6~7月、正論8月号&諸君7,8月号にて、秦郁彦氏が 「吉田清治」 の捏造を看破、騒動が急速に沈静化
  (が、アサヒシンブン「イアンフ捏造キャンペーン」に韓国内で反日爆発、アサヒを『良心勢力』と呼ぶようになる)
   ↓
 ・1993年、「第一次サハリン裁判」で 「吉田清治」 偽証、担当弁護士は翌年インドネシアで「元イアンフ2万人募集」をやる 「高木健一」 。
   「加藤紘一」 が「慰安所には軍が関与」とし、8月4日 「河野洋平」 が談話発表。
  同日、 「NHK」 教育が捏造番組『50年目の"従軍慰安婦"』を放映。「ナヌムの家」を紹介。
   ↓
 ・1996年2月6日、国連「クマラスワミ報告書」提出、評価基準は最下の"take note"(留意)
  中学歴史教科書検定、河野談話をもとに、全ての歴史教科書に「イアンフ」が記述される。
   ↓
 ・1997年1月3日、『朝まで生テレビ!』で 「吉見義明」 が「強制連行&挺身隊が慰安婦にさせられた例は未確認」と自白。
  3月、 「アサヒシンブン」 が「強制連行がなかったとしても、強制性があったのは明らか」と論点ずらしで 「吉田清治」 証言否定。
  12月15日「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求裁判」口頭弁論で、
   「吉見義明」 が『朝生』での発言を撤回していない状態で「女性に対する性暴力」発言、担当は当時弁護士だった 「福島瑞穂」
   ↓
 ・2000年、バウネット&朝鮮総連による「国際戦犯法廷」
   ↓
 ・2001年、 「金学順」 東京地裁で敗訴(判決前に既に死亡)、控訴&上告、2004年最高裁にて棄却

そして現在に繋がる。

364 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2010/04/25(日) 06:34:28 ID:tExwzczM [1/2]
> ということは70年ごろの捏造か?

・支那・大連生まれの元毎日新聞記者 「千田夏光」 が「従軍慰安婦」という言葉を創造、1973年「従軍慰安婦」を出版

正解ですね。


367 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[sage] 投稿日:2010/04/25(日) 10:19:36 ID:a87QrD2q [1/2]
>>364
漏れはこっちの実例で記憶した。

吉田 清治(よしだ せいじ、1913年10月15日 - )は、日本の陸軍軍人の経歴を持つ文筆家。強制連行
犠牲者遺骨祭祀送還協会の元会長。福岡県(山口県とも)出身。清治は筆名で、本名は吉田雄兎。

1947年、下関市議会議員選挙に日本共産党から立候補。129票を獲得したが落選しているという
経歴を持つ。
1977年、『朝鮮人慰安婦と日本人』を新人物往来社から出版。その中で、第二次世界大戦中に日本
軍人が朝鮮の女性を強制連行し慰安婦にしたなどと証言。1982年には第一次樺太朝鮮人裁判で
朝鮮人の奴隷狩りを証言。1983年、いわゆる従軍慰安婦問題の発端となった『私の戦争犯罪』を
上梓した。その後も朝日新聞・しんぶん赤旗などで自身の「戦争犯罪」の告白を展開。韓国にも赴き、
講演と謝罪を繰り返した。このような告白、謝罪を行ったのは吉田のみであった為、当時、吉田は
「勇気ある唯一人の告白者」とされていた。
1989年8月14日、韓国済州島の地元紙『済州新聞』が取材結果をもとに「『私の戦争犯罪』は捏造」と
報じた[1]。1992年3月には現代史家・秦郁彦(元日本大学法学部教授)が、吉田の「慰安婦狩りを
行った」という証言について済州島で現地調査を行ったが明確な裏付けは取れなかった。当時を知る
島民は「この島で人間狩りが起こったら大騒ぎになって誰でも知っているはずだが、そんな話は
聞いたことすらない」との証言をした。同書は韓国語訳され現地の『済州新聞』で住民の証言をもとに
論評がなされているが、「あり得ないこと」「(このような作り話の本は)道徳性の欠如した本で、軽薄な
金儲け主義的」と一蹴されている。秦は、同記事の執筆者、許栄善と面談の折、「何が目的でこんな
作り話を書くんでしょうか」と聞かれ答えに困窮したという。秦は調査結果を公表し[2]、『昭和史の謎を
追う』(文藝春秋1993年3月)に掲載し、菊池寛賞を受賞した。
また、上杉聰は吉見義明・中央大学教授とともに吉田と面談した結果、「秦の論拠だけで吉田の
証言を嘘と断定することはできないが、歴史証言としては採用できない」としている[3]。

1996年5月29日付の週刊新潮インタビューで、吉田は「本に真実を書いても何の利益もない。事実を
隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか」と『私の戦争犯罪 -- 朝鮮人
強制連行』中の記述において、「人間狩りを行なった場所がどこであるかについては創作を交えた」と
偽証を認めたが、「人間狩りをした」という主張は変わっていない。しかし、現実の問題として吉田が
その著書中から事実と主張する部分と創作の部分とを分離せず、検証が不可能であるために、
2010年現在では吉田証言が強制連行の存否において信頼できる証拠として採用されることは、
ほぼなくなった。以下URL参照、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%B8%85%E6%B2%BB_(%E6%96%87%E7%AD%86%E5%AE%B6)