【産経/コラム】 正論:「福澤諭吉」…驚嘆すべき予見力、『脱亜論』のリアリズム | やまとはまほろば

【産経/コラム】 正論:「福澤諭吉」…驚嘆すべき予見力、『脱亜論』のリアリズム

【産経/コラム】 正論:「福澤諭吉」…驚嘆すべき予見力、『脱亜論』のリアリズム
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<一部引用>
 ≪「脱亜論」のリアリズム≫
脱亜論は福澤のリアリズムを、これ以上もないほどに直截に語った論説である。「生存リアリズム」と名づけたいほどである。李朝末期の朝鮮は、政争と内乱のたびごとに宗主の清国に派兵を要請していた。このような志低き状態を放置するのであれば、朝鮮は遠からず清国、次いでロシアの支配下に入らざるをえず、このことは同時に日本の自立を危うくすると福澤はみなした。

朝鮮の文明開化は、朝鮮にとってはもとより、日本にとっても絶対的な必要条件であった。この信念が福澤をして、時に朝鮮の優柔不断を糾弾せしめ、時に清国の横暴専横を罵倒(ばとう)せしめた所以 (ゆえん)である。「悪友を親しむ者は共に悪名を免かる可(べか)らず。我れは心に於て亜細亜東方の 悪友を謝絶するものなり」

この激語は往時の極東アジア地政学の文脈の中で理解さるべきものであり、現在の日本人の感覚で これを読んでも福澤のリアリズムは習得できない。

現状を改革しなければ朝鮮の将来はないと考える、「開化派」と呼ばれる一群の若手官僚を指導し、朝鮮留学生を慶應義塾に受け入れ、密(ひそ)かに武器弾薬を送って彼らの決起を促したのが福澤であった。ひとたび成功した開化派のクーデターが袁世凱率いる清軍によって潰(つい)えたとの報に接し、その深い絶望と憤怒を福澤はみずから発行する『時事新報』に寄せた。これが「脱亜論」である。

日清戦争とは、朝鮮の清国への服属(清韓宗属関係)を破壊せねば日本の自存は危ういと判断して 戦われた戦争である。この戦争に勝利した日本を新たな主敵として待ち受けていたのがロシアであり、日露戦争に勝利して帝国明治が完成した。

 ≪拱手傍観する政治指導者≫
世界最大の陸軍大国ロシアに極東の小国日本が挑んでこれに勝利をもたらした要因はさまざまであるが、最も大きく貢献したのは日英同盟である。

ロシアの南下政策により、アヘン戦争以来、厖大(ぼうだい)に築き上げられた清国内の権益が侵されることを恐れたイギリスと利害を共有して、日英同盟は成立した。他を顧慮することなく国の総力をロシアとの戦いに注ぎ込む条件を、日本は日英同盟によって手にしたのである。明治28年6月21日付の『時事新報』で福澤はこういう。

「我輩素(もと)より文明立国の自利主義を知らざるに非(あら)ず。唯これを知るが故に英人の必ず我れに応ぜんことを信ずるものなり。其の次第を語らんに、抑(そもそ)も英人が自国の利益を衛(まも)る為めに第一の目的とする所のものは、露国の南進を防ぎ彼をして海浜に頭角を現わすこと勿(なか)らしむるの一事にして、多年来、英国の外交戦略と云へば殆(ほと)んど此の一事の外(ほか)に見る所なしと称するも過言に非ず」

この社説が、第1次日英同盟成立(明治35年1月)の6年以上も前に書かれたものであることを知るだけでも、国際環境に対する福澤の予見力が驚嘆に値するほどに高いものであったことを理解できよう。

福澤は日英同盟締結の必要性を誰よりも早く説くと同時に、外交は利害の共有のうえにしか成り立たないという徹底したリアリズムを、この一文の中に鮮やかに浮かび上がらせている。

緊迫の度を増す現在の極東アジア地政学の中にあってなお、日米同盟における集団的自衛権の行使に日本は半歩も踏み出すことができない。領土の確定、拉致被害者の救出にも拱手(きょうしゅ)傍観の体である。政治指導者よ、君、国を捨つるなかれ。 (おわり)

(わたなべ としお)
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120 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/03/03(火) 23:14:29
『 脱 亜 論 』
(福沢諭吉・1885年3月16日「時事新報」より現代語訳の要約)

日本の不幸は中国と朝鮮である。
この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、 日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
情報がこれほど早く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待し てはならない。

「東アジア共同体」の一員として その繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。
日本は、大陸や半島との関係を絶ち、 欧米と共に進まなければならない。
ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。
この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。