おはようございます。
中途覚醒してしまいこの時間。
最近、仕事から帰宅したら
一人除夜の鐘クリーニング瞑想を
行ってる。
まず、5分間、YouTubeの良い感じの
瞑想音楽流して「愛してます」と
言いながら、さとう式のように
身体を撫でていく。
よく見てるYouTubeの人が
自分自身に向けるのは感謝じゃなく
愛であるって言っててしっくりきたから。
その後、瞑想アプリで
除夜の鐘を流して、1回鐘が鳴る毎に
ホ・オポノポノを唱えるって感じ。
まだ、折り合いつけるの難しいのがあって、
ホ・オポノポノでは4つの言葉を
繰り返す事でクリーニングするけど
私は、潜在意識をインナーチャイルドのように感じるのが結構苦手で。
今、朝読書と別でホ・オポノポノの本読んでるんだけど、潜在意識をインナーチャイルドみたいになぜ扱えるんだろう??と自分の中ではしっくりきてない。
先日、トキソイドを打った時から、自分の細胞に対して、ホ・オポノポノやってみようと思えた。
それは、身体の細胞一つ一つに執着や恐怖不安をメモリーしてもらっており、それが固まると、記憶反射での投影や感情未消化による病気やカルマになるんじゃないかと思たから。
キャッチしてたものをなるべくリリースしようと思えた。
私は、有り難い事に、
大学と大学院を卒業して
今はエンジニアの端くれとなるのを
叶えられた。
プログラミングを少しでもやってると
今のAIもアプリケーションもいろいろも
人間の脳をヒントにしている事がよく分かる。
コンピュータがやってることは、人間を模している。
だから、コンピュータのメモリ解放も人間がモデルなのではないかと感じた。
コンピュータもクリーニングしないと重くて全然動かないのと同じ。
だから、クリーニング視点のホ・オポノポノはしっくり私はくる。
けど、メモリを多く抱えてる潜在意識にインナーチャイルドをイコールすると、なんかよく分かんなくなる。
これは、私がクリーニングというよりインナーチャイルドの解放を先に少し出来てたから。
まあ、当時は自分より他者のインナーチャイルド解放の方が得意だったけどね。
インナーチャイルドに寄り添っていく系だとかなり機械的には出来なくなる。
タッピングとか撫でるとか記憶の中での会話重視に自分はなりやすい。
4つの言葉も語りかける事になる。
これは、自分の中ではクリーニングというより感情を味わう事が先になる。
瞬発力がなくなる。
うーん・・・
なんかしっくりこない。
なので、先に5分間愛してますを
撫でながら自分に語りかける。
クリーニングとは別に。
クリーニング中は、ちょい面白い発見もしてる。とりあえず続けて様子見してみる。
夜は、まずこれだけ出来たら、受動的な趣味だけで良いと自分を許してる
・書いて読み返して感じた事を追記
→インナーチャイルド解放の場合は、記憶にいったん入る感じ。場合によっては、同化も発生するし、執着クリーニングだと未練発生しそう。だってクリーニングの「ゼロへ」は、喜びから発生した執着も対象とするから。
そう。メモリ中身を一個一個見て今解放するのか判断する感じ。
一方で機械的なクリーニングは、記憶発生元から消去する感じ。だから執着がインナーチャイルド解放よりは、スパっとしやすいと思える。まだ、そこまで到達してないけど。
なんだろ。クリーニングの方が、あの時のあの状況は、ただの古い記憶の反射投影だなと客観視出来るかも。